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2017年2月16日のブックマーク (2件)

  • SUUMOタウンに、山形県への移住記事を寄稿しました - 紺色のひと

    株式会社リクルート住まいカンパニーが運営するwebメディア「SUUMOタウン」に、山形県庄内地方への移住に関する記事を寄稿しました。タイトルは「あたたかな川をさかのぼるように、山形へ」です。 SUUMOタウンの記事編集にははてなが関わっている*1とのことで、そちらからお声がけいただいた次第です。編集部の方には大変丁寧に対応していただきました。この場を借りてお礼申し上げます。 はてなと一緒に書き手を巻き込んで成長 オウンドメディア「SUUMOタウン」の狙いとは - はてなビジネスブログ この「SUUMOタウン」ピックアップ記事(一覧)は個人的にとても好きなものが多く、並んで掲載されることが嬉しいです。2017年2月現在、関東近辺がほとんど(一部神戸や滋賀、愛媛など関西圏)で東北以北の記事は僕のみですが、これから増えてくるのではと期待しています。仙台とか札幌とか、たぶん来る気がする。(※2/2

    SUUMOタウンに、山形県への移住記事を寄稿しました - 紺色のひと
    Asay
    Asay 2017/02/16
    SUUMO寄稿記事の補足や書いた動機などをまとめてみました。こちら http://suumo.jp/town/entry/yamagata-Asay/ とあわせてお読みください。
  • あたたかな川をさかのぼるように、山形へ(寄稿:アサイ) - SUUMOタウン

    著: アサイ まだインターネットに触れていなかった高校3年生の秋。僕は学内誌に出す私小説の締め切りを気にしながら、進路指導室で大学資料と地図帳を眺めていた。 北海道で生まれ育った僕が進学先として考えた条件は「雪の降る古い町」「市内を大きな川が流れている」「目当ての学部がある」の3つ。これらを満たし、選んだのが山形県だった。 今思えばアナログな手法だったが、そうして進んだ大学は学業も日常生活もとても楽しく、特に古い寮で友人たちと過ごした時間は何物にも代え難いものとなった。そういった良い思い出を抱いて地元に戻り、働いて、と出会い結婚して、子どもが生まれた。 生活はうまくいっていたと思う。それでも僕は故郷を離れる決断をした。は「あなたとならどこへでも行くよ、出会ったころから言ってたじゃない」と言って背中を押してくれた。 そして僕は山形県に戻ってきたのだ、家族と一緒に。 ◆ 山形は藩政時代の経

    あたたかな川をさかのぼるように、山形へ(寄稿:アサイ) - SUUMOタウン
    Asay
    Asay 2017/02/16
    寄稿しました。やまがたへの移住の動機や生活についてなど書いています。ぜひご一読ください。/補足記事:http://asay.hatenadiary.jp/entry/2017/02/16/121406