宮崎監督のiPad評を読んで考えたこと。-我らは我らの祖父母にこの先の時代について責任を求める必要はない。 気になっているのは、宮崎駿氏が語ったというiPadに関する下記のエピソード。インタビューが掲載されたという「熱風7月号」自体を読んでいないので、こうして部分を抜き出して論評することには抵抗があるにはあるのだが、どうにも気になるのでちょっと触れておく。 宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ 今日のエントリはテクノロジの進化がもたらしてくれる恩恵を否定する訳ではなく、やはりその利用方法が重要だということを振り返りたいと思って書き始めた訳ですが、自分の恥ずかしいことろとして、どうしてもこういう「モノ」があることをひけらかしてしまう傾向がゼロではないという点が、いつも自分にとって後ろめたい気