2014年2月8日のブックマーク (2件)

  • 「君が代」とイギリス国歌はこんなに違う - 読む・考える・書く

    上記記事へのTwitterでの反応。 君主を讃えるのがアプリオリに「おぞましい」ということは、英国その他の国歌も「おぞましい」ということですね、わかります。 「君が代」とはどういう歌か - 読む・考える・書く (id:Vergil2010 / @vergil2010) http://t.co/ofU3tJIrda— 無道入人 (Day-Bee-Toe) (@DayBeeToe) 2014年1月15日 私は「君が代」が果たしてきた「役割」がおぞましいと言っているのであって、君主を讃えるのがアプリオリにおぞましいなどとは言っていないのだが、それはともかく、君が代を批判されるとイギリス国歌を引き合いに出して反論したつもりになるのが大方のパターンのようだ。 では、「君が代」とイギリス国歌「God Save the Queen」(男王の場合はQueenがKingに変わる)は、どのくらい似ているのだろ

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  • シェーネラーとルエーガー~ヒトラーが範とした二人の反ユダヤ主義者

    アドルフ・ヒトラーは「わが闘争」で強く影響を受けた人物として二人の政治家の名を挙げている。ゲオルク・フォン・シェーネラー(1842 – 1921)とカール・ルエーガー(1844 – 1910)はともに十九世紀末のオーストリアの政治家で、反ユダヤ主義の代表的な人物であった。 オーストリア=ハンガリー二重帝国1848年にパリで起こった革命はすぐに欧州中に波及してナポレオン戦争後の「ウィーン体制」を崩壊させる。オーストリアでも宰相メッテルニヒが追放され、自由主義派が政権を握るが先鋭化して混乱、やがて新皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の下で絶対主義体制が再建されるが自由主義派も強い影響力を持ち、両者の駆け引きの中で漸進的な自由主義的施策が打ち出されていく。 立憲主義体制への移行と自由主義化の契機となったのは「普墺戦争」(1866)の敗北である。ドイツの大半を失い、それまで主流派であったドイツ人が少数派に

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