私は大学で原子力工学を専攻した。だが卒業後は新聞記者になった。新聞社は私を原発記者にしたかったのだろう。最初の配属先は福井だった。若狭湾沿岸に原発が建ち始めた時代だった。 なぜ原子力を放棄したのか。よく聞かれた。信頼できない技術だからだ。いつもそう答えていた。信用できない理由はいくつもあった。放射性廃棄物を責任を持って管理できるのか。放射線から人間を守るのは容易ではない。いったん原子力事故が起きたら回復不可能な損害が出る。たくさん理由があった。大学で学んでそう結論づけていた。原発推進に協力する気はなかった。 支局時代は最低限の原発記事しか書かなかった。「大阪万博に原子の火」なんて書けるわけがない。当然、上司の受けはよくなかった。大阪に転勤する時、申し訳に「若狭湾は原発墓場になる」という記事を書き置きして転勤した。後で聞いた。福井でその記事が話題になったそうだ。だれが書いたのかと。 その後経