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自戒に関するBanzのブックマーク (2)

  • 「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所

    「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 雑記。 - ちゃずけのはてなにっき

    「じえい」云々の話は、未だにおかしなことを書く人もいるようで、「どこまで続くぬかるみぞ」の言葉がふと。 拾い読んでいて感じたのは、「人」を知らない人が「じえい」「じえい」と言いたがるんだろうなあ、 この手の人は「人」が見えていない気がする、その言葉を浴びせられて、痛みを感じる「人」がいると言うことがわからない、 「人」の心の痛みが感じ取れない、そんなことを言われたら、どんな気がするか考えつかない、つまり、やはり「人」ではないと言うことかなあ。 ことさらに斜め上から見下ろして、その無意味な言葉を「冷静」であるとか「切れのいい言葉」であるだとか、 人から「思われるに違いない」と信じて疑わない、実のところ下世話な「いっぱんろん」を繰り返しているだけに過ぎないのに。 「いっぱんろん」という化け物に身を捧げることで、自分は「守られている」と信じたい気持ちはわからないでもないが、 守られなかったときに

    雑記。 - ちゃずけのはてなにっき
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