ブックマーク / www.dreamcaptor.site (271)

  • 断捨離を意識した生活で快適になった - ヒロニャン情報局

    断捨離を意識した生活で快適になった 私は数年前に断捨離を行いました。 当時は断捨離が流行り始めた頃で、書店にはそれに関するが目立つようになってきたころです。 私は片付けと断捨離の違いが最初良く分かりませんでした。 しかし、断捨離のを読んで、断捨離の意味が少し分かったような気がしました。 断捨離で運気を上げることが出来ると思い、私も早速、断捨離をしようと思いました。 ですが、最初は片付けや掃除があまり好きではない私にとってはどちらかという苦痛な作業でした。 ですが、断捨離のコツを知り、「出す→分ける→しまう」の順番にやっていきました。 さらに狭い範囲で少しずつやったことで、何とかすべての持ち物の断捨離を終えることができました。 ・掃除が楽になる 断捨離をやったことで持ち物が3分の1まで減り、掃除が楽になりました。 さらに掃除を楽にするために、できるだけ部屋には物を置かないようにしました。

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  • 貧乏は本当に嫌 - ヒロニャン情報局

    私は、45歳の女性です。 幼い頃から貧乏だった私にとって、周囲の生活が羨ましくて仕方がありませんでした。 過去にファミコンが流行ったときにも、私は買ってはもらえず、友達を羨ましく思って見ていました。 その原因は、私の父にあります。給料はかなり高額なのですが、収入以上に借金が多かったのです。 家族には何も言わず、バイクを購入したり、生活費の殆どを趣味に注ぎ込んだりする人でした。 私と母がご飯と漬け物だけをべている横で、平気で焼き肉をべるような、そんな人でした。 ですが、離婚をして私を養う自信のなかった母にとっては、そんな父とは別れられず、ことあるごとに「ごめんね」と泣いていました。 だから、私も貧乏であることは触れずにきました。 洋服を買ってもらえなくても、おもちゃを買えなくても、不満は言いませんでした。 も、1度購入したら、平気で5年以上ははいていました。 もう、汚れてボロボロになっ

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  • 紫外線過敏症との戦い - ヒロニャン情報局

    子育ての苦労と言えば歩けるようになってから、元気と言えばうちの子というほど一年中日焼け肌で体格も良く、健康優良児だった娘が重度の紫外線過敏症になったのは小学校に上がった頃でした。 紫外線過敏症は、最近では認知度が高まっていますがその当時は病院に行ってもなんだかわからず、原因不明の湿疹が体中にできていくつもの病院を回りました。 そして、顔にも真っ赤な湿疹が出てしまい寝ている時にはかきむしってしまうためこちらもずっと寝ないで見張っていなくてはならないほどでした。 何より、健康で特にアレルギーなどもなかった子供になぜこんなに湿疹が出るのか?と書籍やネットなどできる限りのことを調べて、たどり着いたのが紫外線でした。 どうやら、紫外線のある時間に外に出た時にだけ湿疹が出ているようだということをつきとめるのは、意外と時間がかかりました。 なぜなら、その時はそんな症状の人は周りにはいませんでしたし、大人

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  • 不妊症の為、治療したのですが・・ - ヒロニャン情報局

    不妊症の為、治療したのですが・・ 私は今、現在40代前半の主婦なのですが以前まで不妊症の為に病院などに行き主人と共に治療したのですが、残念ながら子供には恵まれませんでした。 元々から私達夫婦は子供が欲しくて結婚することを楽しみにしていたのですが、なかなか出来なかったので心配となり、そして不妊治療することにしたのでした。 結婚した当初はまだお互いに30代前半の時でしたので、正直それほど年齢的なものでは心配はしていませんでした。 ところが、結婚して3年ほど経った頃に少しづつ不安になってきたのでした。 それでももう少し様子を見てみようと言うことになり、私達夫婦は相談した結果、しばらくは普通に暮らしていたのでした。 しかし、やはりそれからも変わりなく全く子供が出来そうになかったのです。 ですので、周りの友人や知人または両親にも相談をし、どうするべきかを夫婦で考えたのでした。 ・不妊治療を始める そ

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  • 母だけは絶対に許せない - ヒロニャン情報局

    私の母親はシングルマザーでとてもお金にだらしない人で、私は何度もお金をとられたり、大切なものを奪われてきました。 そのなかでも、絶対に許せないと感じたのは母との絶縁を決めたきっかけの一つです。 当時、私には結婚を視野に入れている彼がいました。 母にお金を奪われるため、貯蓄が出来ずに実家からでるのも許されない状況。 しかし、結婚さえすれば母の元から離れられると感じていたのです。 私には姉がいるのですが、姉が結婚するときには母は大騒ぎしました。 金蔓がいなくなるからです。 私の時も男に騙されていると泣きながら訴えてきたり散々でしたが、結婚して出ていくことを夢にみていました。 けれど、彼の親が私の親にも挨拶をしたいと言ってきたので大変でした。 私は彼に嫌だと言ったのですが、毒親の存在など理解していない向こうの親は会うことが籍入れの条件にしてきたのです。 私は仕方なくセッティングし、親を会わせるこ

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  • 姑を嫌う理由 - ヒロニャン情報局

    姑を嫌う理由 姑がなぜ嫌いなのか。それは、あまりにも身勝手過ぎるからです。 夫は、表面的にはそうは見えませんが、かなりのマザコンです。 ・毎日来るように言われた。 結婚した頃には、毎日のように来るようにと言われました。 仕事もしていなかったので、仕方がないのかと思いましたが、行ったからと言って、何をするわけでもないのです。 1時間ぐらいたったら、もう帰ってと言わんばかりに追い出されるのです。 一体、なんなのか私にはさっぱりわかりませんでした。 そして、姑の家の近くには私の実家があるんです。 私だって、両親に会いたいです。そこで、帰りに実家に寄ると、どこで知るのか後で嫌みを言われるんです。 ・息子には説教1つ出来ない。 そして、ショックだったのは、私が夫に暴力をふるわれた時でした。 新婚の時に、仲間内とプロレスにはまっていた夫は、帰宅するやいなや私に技をかけさせてくれと、練習台にしたのです。

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  • 人生初の就職先は、散々な会社でした - ヒロニャン情報局

    これは私が初めて勤めた会社の話です。 ハローワークの求人票から申込み、試験、面接をクリアして無事採用されました。 最初に驚いたのは、勤めはじめてから数日後、教育係の方と求人票についてお話ししていたときのことです。 「生理休暇に、産休取得?? うちでそんなの取得した人一人も居ないよ」 どちらも取得する予定はありませんでしたが、初めての就職だったため、求人票の条件と全く異なる内容を聞いてびっくりしました。 でもこれは序の口だったのです。 【有給休暇がとれない】 勤め始めて半年後、有給休暇が申請できるようになりました。 でもそれは見せかけで、実際には有給休暇と同じ分だけの残業代(つまり一日8時間労働とすると8時間分の残業代)を会社に返還しなければならないというシステムでした。 ここで一つ問題があります。 私の業種は残業した時間数分残業代が戴けるシステムではなく、お客様の発注金額により残業代が決ま

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  • ローンで家を購入し、子供の成長とともに幸せになるはずが - ヒロニャン情報局

    ローンで家を購入し、子供の成長とともに幸せになるはずが 8年前に住宅を購入しました。 子供が幼稚園に入るタイミングで住宅を購入しました。 それまで、賃貸でしたが子供の成長を考えてそろそろ、住宅を考えようと思いました。 旦那さんは、もう少し、様子を見たかったようです。 でも、みんなローン組んで家を建てているじゃないかと、私はい下がり立地の条件付きで、探しました。 すると希望に沿う立地が見つかり、購入することになりました。 3000万のローンを組み、ボーナス払いなしで、月々の払いが10万くらいでした。 入居して良かったと思ったのは半年ぐらいでした。その後は、まず家賃の時よりも払いが多いので何かと物入りになりました。 家になった分光熱費も上がります。家賃よりも多めのローン返済、幼稚園の月謝など出費が増えました。 ・2人目もできて生活が苦しくなる しかも、3年後に、2人目もできて喜び半分、先の心

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  • 母の病気が私の人生をやり直すきっかけをくれた。 - ヒロニャン情報局

    人生を変える大きなきっかけを作るものの一つに「家族の病気」があると思います。 今日は20代後半で今まで順風満帆だった私の人生が大きく代わり、そのことをきっかけに人生をやり直そうと思ったお話をしたいと思います。 私の家族は4人家族で、母は主婦の傍、書道の先生をしており、父はいつも家にはいない仕事人間のような人でした。 姉はいつも家にいて、私は暇さえあれば外に出て遊んでいるような人間でした。 家族4人で出かけることは少なかったものの、両親が喧嘩する姿を一度も見たことがなかったので、「私の家族は仲がいいんだ」といつも思っては友達に家族自慢をしていました。 私が28歳になった頃、母の心臓の病気が見つかりました。 当時、私は仕事を辞めて就職活動をしていた時でした。 病院の先生に呼び出されて話を聞きに行くことになりましたが、父が突然家を出て行ってしまい、私と母の2人で話を聞く事になりました。 今まで家

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  • 探偵に夫の浮気調査を依頼しました。 - ヒロニャン情報局

    夫が浮気をしているのではと感じていました。 毎週2、3回残業をするようになったり、休日にフラリと何も言わずに3、4時間いなくなるようなことが続いていたからです。 今までそんなに頻繁に残業があったり、休日に1人で出かけるようなことはありませんでした。 残業をした後に、香水のような香りがしたこともありました。 これは絶対に浮気されていると思ったので、信頼している親友に相談することにしたんです。 親友から「絶対に放置したらだめ!探偵に依頼して浮気の証拠をつかんだほうがいい」と言われ、動揺。 共働きなので浮気調査の費用を出すことはできますし、お金の心配はありませんでしたが、真実を知ることが急に怖くなりました。 夫のことを愛していますし、浮気されていても離婚をする気持ちはありません。 当に探偵に浮気調査を依頼することが良い事なのか、1ヶ月間じっくりと考えました。 その結果、調査をしてもらうことに決

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  • ご近所さんの庭木のトラブル - ヒロニャン情報局

    ご近所さんの庭木のトラブル 40代のアラフォー主婦です。 一戸建てを購入して約20年になりますが、自宅前に大きな家があり、そこは高齢なお婆さんが一人で住んでいます。 5年ほど前におじいさんが他界されてから、庭の手入れを誰も行わず、かなり荒れているのがわかり、そしてお子さん達は近くに住んでいないので、たまに年末年始やお盆など遊びにきた時は荒れた庭を見ても何も感じないのか、そのまま放置しているような感じです。 なので垣根の木ものび放題で、駐車場から車を出す時には車に木が当たるので、傷ついてしまいますし、何度かそのお婆さんに話しトラブルになりましたが、「もう年なので何もできずにごめんなさいね。」といって何もしません。 お子さん達がいらした時に垣根のことを伝えると「ごめんなさいね。今度、垣根を切りますから。」といって何もアクションを起こさずトラブルになり、とても困っています。 家の前の車道は狭いの

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  • ずっと仲良かった友達の裏の顔 - ヒロニャン情報局

    私は、今20歳で、幼稚園からずっと仲の良い友達がいます。 仮にAちゃんとします。 Aちゃんとは小中高と離れたことがなく、家も近かったため通学も毎日のように一緒でした。 お互い複雑な家庭だったためか、とても気が合い、なんでも分かり合える中で、好きな人のこと、学校でのこと、家庭のこと、Aちゃんには何でも話しました。 普段の他愛ない話からすこし重い話までなんでもです。 いつでも優しく聞いてくれて、受け入れてくれるAちゃんが大好きでした。 そんな調子で過ごして、高校生になってからは、平日にAちゃんの家に泊まってそのまま一緒に学校に行くというのが続き、ほぼほぼ24時間一緒にいる事が増えました。 それでも前と変わらず仲良く、いえ、前よりも仲良くなって行きました。 ただ、歳を重ねるにつれ、「あれ?」と思うことが増えていきました。 それは、私が違う友達と話している時や、Aちゃんに他の友達の話や好きな人の話

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  • 物を完璧に節約する友人 - ヒロニャン情報局

    物を完璧に節約する友人 私の友人は、子供の頃に裕福ではなかったことから、かなり物を大切にしていました。 遊びに行った時に驚いたのは、ケチャップやマヨネーズです。 私は、チューブを押して出なくなったら、すぐに捨てていたのですが、友人はそこに水を入れて、シャカシャカすると、スープに入れていました。 味はほとんど感じないのですが、もったいないからと、友人が言うんです。 彼女の部屋はかなりシンプルで、まるでインテリア展示場のような部屋です。 テーブルとイス、それにベッドとソファといった、必要最低限の家具しかなく、クローゼットにもほとんど洋服は入っていません。 ・サランラップ、アルミホイルを使い捨てにしない そして、サランラップやアルミホイルも、友人は決して使い捨てにはしないんです。 サランラップは、1度使った後は綺麗に保存しておいて3回は使うそうですし、アルミホイルも、クシャクシャの状態の物は落し

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  • すごく仲の良かった従妹とあることがきっかけで修羅場に・・ - ヒロニャン情報局

    子供の頃から7歳年下の従妹とはすごく仲が良くて、親戚の集まりではいつも2人で遊んでいました。 お互いに兄弟がいないので、まるで姉妹のように仲良くしていたんです。 7歳も年下なので私は従妹をとても可愛がっていましたし、従妹も私のことを「お姉ちゃん」と呼んでいつも私の後をついてきました。 社会人になってからも私のアパートに遊びに来て泊まっていったり、ショッピングをしたり遊びに行ったりしました。 恋愛や勉強、仕事相談や愚痴などを言い合う仲だったんですよね。 でもあることがきっかけで、その関係にヒビが入ってしまったんです。 きっかけは私に彼氏ができたことです。 お互いに彼氏がいなくて寂しいと言い合っていたのですが、私に彼氏ができたことで従妹はすごく寂しそうでした。 初めて彼氏を紹介した時は、従妹から「良かったね」と言われ、「二人の邪魔をしないように、もう遊びに行かないね」と言われました。 私は「

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  • 犯人は、一番信頼してた人でした。 - ヒロニャン情報局

    犯人は、一番信頼してた人でした。 10年前、25歳の時の話しです。 当時、私は、不動産会社の事務として、都内で一人暮らしをしていました。 仕事を終え、22時くらいに帰宅。 ・部屋が空っぽ すぐに、異変に気づきました。部屋の物が全部ない。 部屋に敷いてあった、絨毯と、壁に飾ってあった写真、布団、洗濯物が残っているだけで、当に全部なくなっていたのです。 頭は真っ白、ただただ、呆然と立ち尽くしました。 30分くらいたった後、カーテンを開け、窓ガラスを確認、窓ガラスの鍵の回りには、テープが貼られ、割られていました。 ・犯人は兄 泥棒に入られたと確信し、警察に電話しました。 当時、私は、駐車場に面したマンションの一階にすんでいました。 大家さんにも来てもらい、駐車場側の防犯カメラを確認、防犯カメラには、窓から、次々と私の荷物を運び出す3人の男が映っていました。 その一人、ジーンズに黒いニット帽の男

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  • 若い人に教えられたこと - ヒロニャン情報局

    こんにちは。今日はわたくしがしくじりをしてしまったエピソードを書いていきたいと思います。 「面談」 わたくしは仕事上、生活保護受給者の方を接することが多くあります。そして、わたくしはその生活保護受給者の方々を就職までもっていくことが仕事となっております。 よって面談によって人の希望や特性を考慮しつつ、就職をさせるという流れが基的なパターンです。 わたくしはいつものように仕事で面談をしました。 この時のわたくしは就職させなくてはいけないということと、キャリアを積んで天狗になってしまっていた時期がありました。 面談をしたものの、その生活保護受給者の方の言い分をたいして聞かずに、勝手に実習先を決めて送り込んでしまったのです。 もちろんですが、悪気は一切ありませんでした。ところが相手側は、そうは感じることができなかったようでした。 「役所での面談で・・・」 実習を終えてから役所の担当の方を交え

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  • お料理の食材に猫の肉 - ヒロニャン情報局

    社会人になって間もなくの頃、学生の頃の仲良し3人組で、ある町の中華街の評判のお店に行った時のお話です。 新卒で就職して、職場ではストレスがたまり気味だった当時のわたしたちは、積もる愚痴話に盛り上がりに盛り上がって時の経つのもわすれていたほどでした。 時間とともに酔いもまわって、ほろ酔い気分でお手洗いに立ったわたし。 お手洗いは、どこかと細い通路を通って奥へ奥へと進んで行きました。 すると、倉庫かなと思われるようなお部屋の前を通り過ぎるときでした。 その時に、一瞬ちらっと中を覗くと、びっくりです。 切断されたの頭がお部屋のコンクリートの床に小高い山のように積まれていたのです。 床を、流れ出た血がかたまりになって真っ赤に染めていました。 「あっ!!」と思わず両手で口元を抑えて立ち止まってしまったわたし。 すると、お店のひとが大急ぎでわたしの後ろにやってきて、「何かここにご用ですか?」と恐ろし

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  • ドケチ生活を送っている同僚 - ヒロニャン情報局

    ドケチ生活を送っている同僚 いつも昼時には、お弁当を持参して絶対に外をしない友人が、めずらしく外しようよぉ〜と誘ってきたので、一緒に出かけることにしました。 かなりのドケチで有名な同僚なので、外の誘いを受けた時、何だか怪しいなぁと感じたけど、「美味しいお店がオープンしたので、一緒に行こうよぉ〜」と誘いを受けたので、とても楽しみにしていました。 ・同僚の外は試 日常生活もこれといって派手ではないですし、かなり性格も良い同僚なので、ドケチ生活を送っていたとしても、たまには外したいと思いこともあるんだろうなぁ〜と思い、私も楽しみにして出かけました。 そしたら、デパートの地下街の品売り場がリニューアルされたので、沢山の試コーナーがあり、ここで試しながら会話して楽しもう!とのことで、このドケチぶりには驚きました。 そして試のみではなく、小さな透明ビニール袋を持ってきているので、

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  • 元旦那を一生許せない - ヒロニャン情報局

    私が一生許せないと思っているのは元旦那の浮気です。 これは当に絶対に許すことができません。 会社で知り合った旦那で5歳年上でした。 彼はとにかく優しくて、子供ができても協力的でとにかく私にとってパーフェクトな旦那だなと思っていました。 しかし、子供が小学生になった時から夜が遅くなったりと、行動パターンが変わってきたのです。 いきなりネクタイを買ってきたり。(いつもは私が購入しています) これはおかしいと思い、やってはいけないのかもしれませんが、彼のスマホを定期的にチェックするようになりました。 そんなある朝、メールがきているのがわかりました。 その時はじめて浮気相手とのメールを目にすることになりました。 「今度の日曜日大丈夫だよ。そうなんだ、奥さんとはうまくいってないんだね。私が癒してあげるからね♪今日はホテル行けるよ♪奥さんばばあにしか見えないとか面白すぎでしょ!そんなこと言ったらかわ

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  • 介護型老人ホームでのきつい経験 - ヒロニャン情報局

    介護型老人ホームでのきつい経験 私は、現在30代前半の専業主婦でありますが、私は過去に、介護型の老人ホームで非常にきつい経験をしました。 私は、20代の頃に意欲を持って新卒で介護業界に従事したいと思い、大学でも福祉を専攻しまして、介護業界に飛び込みました。 ・非常に厳しいきつい労働環境 しかし、実際に就職した環境は、私が思い描いておりました実際の介護よりも非常に厳しいきつい労働環境でありました。 まずは新卒での洗礼と言う形で、最初の頃は、夜勤は頻繁にならないように免除して頂いておりましたが、困難な入居者の介護を命ぜられる形になりました。 その困難な入居者は、元国会議員や、元医者等の名だたる職業に就かれていた方々で、介護職のことを完全に見下しているような形でありました。 その担当させて頂いた方々から、1分単位での事の配の時間を指摘される形になったり、また、少しでも、粗相があれば、それを完

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