学者というのはたいへん無責任な存在である。いつも勝手なことばかり考えて、好きなことを言っている。いいかげんな発言をしてもその責任は、自分が属する小社会で信用が失墜するだけに留まる。社会的責任は問われない。これが、学者の自由を保障して社会のなかで学術を効果的に発展させる仕組みだ。 私は過去に一度だけ、この免責された学者の小社会から飛び出ようとしたことがある。それは2004年のことだった。国と県と市町村が合同でつくった浅間山のハザードマップに重大な虚偽があるのをみつけた。 国と県と市町村が示し合わせたこの虚偽は到底容認できないことだと、そのときの私は感じた。法的手段に訴えてみずからが社会改革をなすべきだといったんは信じた。その方法は、告発することだと知った。やり方を調べて、いざ告発する段階に至った。 さすがに躊躇して、親しい何人かに相談を持ちかけた。おおかたは態度を明らかにしなかったが、ひとり