新R25は、仕事や人生を楽しむビジネスパーソンのための「ビジネスバラエティメディア」です。編集部によるインタビューコンテンツを通じて、R25世代のみなさんの"小さな一歩"を応援します。
「Lingua furanca.」というブログで追悼文がどうのこうのという話題を見た。 ここで書かれているのは幻想に過ぎない。 本当に死をいたんで悲しんでくれる人などはリアルでの付き合いがあるホンのひとかけらだ。 もしこんな俺が仮に死んだとしたら何が残る。 誰も取り扱い方法を知らないだろうから過去ログは残るだろう。 過去ログを見たところで見るに耐えないものばかりだ。 ちくしょう。内輪だからあんなこと書けるんだよ。 こんな僻みも届かないおめでたい野郎なんだろうな、きっと。 …。 ……一度でいいから、こんな風にちやほやされたかったな。 あー、楽しくブログを書いてた頃が懐かしい。 今となっては惰性による産物だ。 こんなもの見ても何の得にもならない。 …何もかも捨てよう。 これが孤独な管理人による孤独な追悼式なのさ。 さようなら。もう悔いは無い。 翌日からその管理人のブログにはこう記されていた。
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