営業的な配慮というのはもちろんわかるのだけれど。 (『CUT』2004 年 5 月) 山形浩生 嶽本野ばら。この人は、ある意味で賢い立場にいる作家さんだけれど、それがかれの限界にもなっているの。今回の話は要するにそういうこと。 かれはちょっと特殊なジャンル作家だと思われているので、それ故にだれも(というのは、ちゃんとものを読む能力のある人、という意味だ)かれの本を真面目に論じようとしない。たとえば舞城王太朗について考えるような形で嶽本野ばらを考える人はだれもいない。岩井志麻子や、もっと下がって渡辺淳一のような形ですら読まれることはない。かれの読者のほとんどは、特殊なニッチにいる人々で、かなり一般性のない閉鎖的なコミュニティを形成している。というか、一般性がないことこそ、そのコミュニティの存在理由であり存在根拠なのだもの。 それは嶽本にとっては、たぶんありがたいことなんだろう。少なくとも営業