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*随想・日記と喪に関するCrowserのブックマーク (4)

  • 死滅病棟: ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路

    2008年11月16日 ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路 ここでは表題の「ネットカフェ難民にもなれなかった男」のことを、仮に荻野光男と呼ぶことにする、この名前は彼の正確な名とは異なっている。このエントリでは、彼について把握できる限りのことをただ単に書いていくだけであり、このエントリには何の未来も無いし、ただ彼の人生の一端が垣間見えるだけで、救われる者は誰もいない。 1 八月三一日、青葉唯石が渋谷のとあるマクドナルドでイー・モバイルを使ったネットの徘徊をしていたところ、一人の男が話し掛けてきた。男は荻野と名乗り、仕事が無いのでそのパソコンで日雇いのアルバイトの情報を検索させてくれと言う。唯石は面白がって、また人を集めるので翌日に再度ここに来て欲しいと告げるとその場でツイッターやらスカイプやら、様々な経路で人を集め、翌日には十数人が集まった。荻野は吃音がひどく、見知らぬ人に囲まれなが

  • 気がついたら自分がネトアになっていた。 - 真性引き篭もり

    僕は天才であった。 疑う余地の無い天才であった。 けれどもそれは昔の話で、今では凡人に成り下がった。 >半角英数さんはとても素敵です。 メールが来ていた。 いやあ、これはezだ。 これは、ワナだ。 ちょうどその頃、僕のブログは荒れに荒れていた。 間違いなく、ワナだ。 僕はそんなものに騙されるようなnoobじゃあない。 いかにもありがちな名っぽいハンドルネームと、プロバイダーのメールアドレス。 10行と少しの文章に、よろしければと言い訳をして返信を求める締めの一文。 僕は賢明であるからして、その意味を一瞬で悟った。 これは、熱心な海外ボツニュースのファンが僕を陥れる為に差し向けた、少し大掛かりだが陳腐なワナだ。その手には乗らない。暇で執念深い海外ボツニュース信者。全てお見通しだ。 適当なメールを返した。 出来る限り適当なメールを返した。 来たメールを丸々引用した返信メールの一番上に、 「あ

  • 足跡依存症から抜け出した僕は、一生mixiなんてしないと堅く心に誓ったのでした。 - 真性引き篭もり

    あの日の僕は、幸せに包まれていた。 ブログを書き始めて良かったと初めて思った。 その頃、僕は疲れていた。生まれてこの方まともに文章なんて書いたことの無かった夜から晩までゲームをやり続けていただけの人間が、どこをどう間違えたのかブロガーになってしまい、毎日ブログを書いていた。その慣れない生活に、僕は疲れきっていた。 起きて、書いて、寝る。その単調な生活に、僕はわけのわからないままで、頭のてっぺんまでどっぷりと、完全に漬かってしまっていた。 そんなある日のことだった 僕が彼女の足跡を見つけたのは。 彼女のブログを始めて読んだ夜の事は、今でも鮮明に覚えている。なんてことのない普通のブログだった。ありふれたダイアリーだった。けれどもそれは、どうしてか、強く僕の心を捉えて放さなかった。彼女はとても弱かったけれど、とても強い文章を書いていた。完全にやられてしまった。 僕はその夜から、彼女のブログを読む

  • 悲しい忘却 - こんぷれいんつ・ぶろぐ(運休中)

    涼宮ハルヒが好きだ。 でも四年もの歳月は作品を忘却させて、 スキャンダラスな話題たちが、 それに泥を塗った。 - 1.終わったコンテンツはゴミ箱へ。なら、ささげた愛はどこへ行く? ここ数年で一度に放送されるアニメは激増したように思う。ジャンルは様々あるしそれ自体はまったく良いことだと思う。けれどそれと同時に視聴者の作品消費、代謝が早くなっているようにも感じた。 水星氏の言葉は一度は誰もが考えたと思う。けいおん!は終わってからまだ間もないし、しかもまだ劇場版がある。すぐに廃れるようなものではない。だが、劇場版までに新たな作品が続々と生まれ、既存のコンテンツは徐々に鮮度を失っていく。きっとどんな作品も二年もたてば「終わったコンテンツ」だ。それが三年もたてば、 らき☆すたはなぜ消えたのか?(リンク先閉鎖) こういう話題として扱われるようになる。記事の内容もさることながら、真性の「らき☆すた」ファ

    悲しい忘却 - こんぷれいんつ・ぶろぐ(運休中)
    Crowser
    Crowser 2011/09/29
    『涼宮ハルヒが好きだ。 好きなのに、それを言うとみんなから馬鹿にされる気がした。 涼宮ハルヒが好きだ。 好きなのに、それを一緒に叫ぶ仲間はもういない。』
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