大人はよく、子供に「相手の立場になって考えよう」と教える。道徳の授業でも、そうやって教わってきた。作家として、僕はそれが「間違っている」とまでは言わないが、「相手の立場になって考えることには限界がある」と感じている。 昨年、僕は『ゲームの王国』という、ポル・ポト時代から近未来のカンボジアを舞台にした小説を出した。作中でカンボジアの農民が登場するのだが、日本の都会に育った僕が、はたして「カンボジアの農民の立場」になって考えることなどできるだろうか。執筆早々に「不可能だ」という結論に至った。彼らが日々何を楽しみに、何を恐れ、何を大切にして生きているか、僕が完全に「理解」することはできない。むしろ安易な理解は、彼らの生活の本質を捻(ね)じ曲げてしまうだろう。 そこで僕は「相手の立場になって考える」という発想を捨て、「知識を頼りに書く」という考え方をするようになった。彼らが普段どういう生活をしてい