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登山と京都に関するDG-Lawのブックマーク (2)

  • 京都の愛宕山へ行ってきた - c_shiikaのブログ

    ツイッターで簡単にまとめようと思ったら意外と長くなったのでこっちで。 当は大山に登った話もブログに書かねばと思っているのだけれど、まあそれはそのうち追々に。 ぱんぱかぱーんの重巡愛宕の名前のもととなった京都の愛宕山へ行ってきた。愛宕山の隣りにある高雄山のほうは重巡高雄の名前のもとになった山だそうで、山同士も姉妹だったみたい。てっきり高雄のほうは台湾の山から名付けたのだとばかり思っていた。 艦これ聖地巡礼登山としては、榛名山、赤城山、天城山に続いて四つ目。 JR保津峡駅の近くから登ったのだけれど、この駅は住宅街のど真ん中にある嵯峨嵐山駅から電車で数分の隣駅なのに、周囲には一軒の民家も存在しない秘境の無人駅という何を言っているのかわからない駅である。駅自体もトンネルとトンネルの間にかけられた橋の上に駅があるという変わった構造をしている。登山道へのアクセスがいいという理由でここに来たのだが、鉄

    京都の愛宕山へ行ってきた - c_shiikaのブログ
    DG-Law
    DG-Law 2020/10/29
    保津峡が絶景過ぎて登る前から満足しかけたのは内緒の話だ。/1時間で300m標高が上がるのが標準的な傾斜と見なされるところ,2時間で800m以上登る愛宕山の保津峡ルートの登山道は急登と言って差し支えないと思う。
  • 愛宕神社 - Wikipedia

    その後は神仏習合において修験道の道場として信仰を集め、9世紀には霊山として七高山の1つに数えられた(愛宕信仰も参照)。なお『延喜式神名帳』に「丹波国桑田郡 阿多古神社」の記載があるが、これは亀岡市の愛宕神社(元愛宕)を指すと考えられている。この時代、殿には愛宕大権現の地仏である勝軍地蔵が、奥の院(現・若宮社)に愛宕山の天狗の太郎坊が祀られていた。 江戸時代には勝地院・教学院・大善院・威徳院・福寿院等の社僧の住坊があり、繁栄を見せていた。 明治時代になると神仏分離により、白雲寺は廃絶されて愛宕神社になると同時に、勝軍地蔵は京都市西京区大原野の金蔵寺に移された。 1881年(明治14年)には近代社格制度において府社に列格している。 明治時代には参詣道の途中にいくつか茶店があり、休憩する者や名物の土器(かわらけ)投げで賑わったという。また、茶店では疲れた客への甘味として、しん粉 (うるち米の

    愛宕神社 - Wikipedia
    DG-Law
    DG-Law 2020/10/26
    思わぬところで埴安神に参拝していた。/全然意識してなかったけど,そういえば「時は今」の句の山だったか。
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