カンタベリー地方Kurow出身。クライストチャーチの名門セント・アンドリューズ・カレッジ在校時より数学に特段の才能を発揮した。1950年の奨学金審査試験では試験時間を間違え、600点満点中298点と半分の成績しか残せなかったが、特例で奨学金が給付されニュージーランド大学カンタベリー・カレッジ(現・カンタベリー大学)へ進学した。 大学では初年度から飛び級で3年次に在籍。大学の規定により20歳の誕生日を過ぎるまで卒業が認められなかったため、ビリヤードとボクシングに熱中し、大学代表のライトウェルター級選手として試合に出場した。当時、カンタベリー・カレッジに在籍していたケンブリッジ大学出身の数学者のウォルター・ウォリック・ソーヤーは、ボクシングの怪我でカーの脳が損傷することを心配したという。大学2年次に修士課程を修了し、理学修士の学位を取得した。 1955年、アーサー・シムズ連合王国奨学生として渡