本書を読んで、おやどこかでよく似た話は読んだことがあると感じた。自分の読書ノートを調べると、アーサー・ケスラー著「偶然の本質」(ちくま学芸文庫 2006年)がそれである。このアーサー・ケスラーの本は衒学的で超心理学というオカルトめいた落ちがあるが、本書竹内 啓著 「偶然とは何か」はさすが岩波新書であるだけに明るく前向きである。しかし扱っている手段は、数理統計学と量子物理学、進化学など両者の材料は似ている。同じような材料を扱ってどうしてこうも結論が違うのか、それは前者が心理学であり、後者は経済学であることだろう。竹内 啓(1933年10月生まれ)は、日本の数理統計学者、経済学者。東京大学名誉教授。基本的な専門分野は統計学だが、経済理論ではマルクス経済学に位置し、その広い関心から科学技術や環境保全などに関する著作も多い。1994年までは東京大学経済学部教授を務め、定年後は明治大学国際学部教授を
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確率は客観的な相対頻度に基づく客観確率あるいは物理的確率言う側面と,或る 事象の生起に対する主観的な信念の度合いを表す側面というヤヌスの双面を持って います. 前者にはvon Misesの頻度解釈(相対頻度による確率の数学的に厳密な解釈を目指 していました)やPopperの傾向性解釈(これは主観確率の側面も持っています.も とは量子力学の波束の収縮を説明することを主目的に提出されました.実験装置であ るとか,世界の配置,状況自身を傾向性という確率と結びつけるものです)がありま す. 後者には前期Keynesの論理解釈や,de Finetti や Ramsey の主観解釈があり ます.論理解釈は命題間の関係などを表すものと確率を解釈します.ここでは非数 値的確率までも想定されます.すなわち全順序を構成しない,お互いに確率の比較 の出来ない命題をも包含するものです.De Finetti達の主観
前回の続き(強調引用者): このような立場は、それぞれ現在の統計学におけるいくつかの考え方のあるものを代表しているのである。確率を頻度として考える立場の代表者はフォン・ミーゼスである。彼は確率を集団現象における相対頻度の意味に限定し、さらに次のような三つの条件をつける。 1.その減少は無限に繰り返しが可能である。 2.無限の繰り返しの中で、一定の事象が現れる相対頻度は極限において一定の値pに収斂する。 3.この集団の中から、何らかの規則に従って無限の部分集団をえらび出すとき、その部分集団の中での事象の相対頻度の極限値はつねにpに一致する。 そうして彼はこのような事実が経験的に確定された対象についてのみ、確率を適用することを主張している。したがってミーゼスにとっては確率論とは、規則的な構造をもたない集団現象における比率の理論にほかならない。それゆえミーゼスによると確率論の適用可能な範囲は極め
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