母親がピアニスト兼チェリストであったため、「音楽的には非常に恵まれた環境にあった」とバックリィは述懐している。初めて買ったアルバムはレッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』で、キッスなども幼少の頃のお気に入りであった。高校に入る頃には、プログレッシブ・ロックやジャズ、フュージョンを愛好する様になり、高校ではジャズバンドに所属していたという。 高校卒業後、ハリウッドに移住し、音楽学校『ミュージシャンズ・インスティテュート(MI)』に入学。1年の課程を修了した。その後、バックリィはホテルで働きながら、様々なバンドでプレイすることとなるものの、芽は出ず、また後に知られることになる美声も、このときの彼にはせいぜいがコーラス位しか歌う機会がなく、認知されることはなかった。 1990年にチャンスを求めてニューヨーク入りするも、思ったほどの機会は与えられず、その年のうちにロサンゼルスへと帰って
