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2009年1月1日のブックマーク (2件)

  • コンピューターゲームにおける「水と器」理論 - ハックルベリーに会いに行く

    前にゲーム制作をする人から聞いた話。 ゲームウォッチは、今遊んでもそれなりに面白いのに、同じ内容のゲームを、例えばPCのFLASH上で走らせると、なんだか貧相に見えてしまうのはなぜだろうか? そこには色々な要因があるのだろうけど、一つには、ゲームとハードのスペックのバランスがあるのではないだろうかという話だった。 ゲームウォッチ上で動くゲームは、ハードのスペックをほぼ限界まで使っている。もともと貧弱なハードなのなのだから、例えゲームが貧弱でも、それほど気にはならない(むしろ「スペックの割には頑張ってる」と豪華にさえ見える)。一方PCでそれを走らせると、ハードのスペックの一部分しか使っていない。ゲームウォッチくらいの内容ならば、文字通り「小手先」で動かせることができる。そのため、ゲームの貧弱さというのが際立ってしまう。 それは、例えて言うなら「コップと樽に入った同じ量の水」だと彼は言った。例

    DRAM64KB
    DRAM64KB 2009/01/01
    Wiiハードの限界が見え始めた昨今,DS/Wii販促マーケティングに周回遅れで踊らされるって面白いよね。まぁ,Flash版「山のぼりゲーム」でもやって出直して来いってことだ。
  • 2008年は得をしたい気分が蔓延した年だった - ハックルベリーに会いに行く

    ブログを書いていて気付いたのは、2008年は「得をしたい気分」が蔓延した年だったということだった。はてなの人気エントリーにも、得をできる、あるいは得した気分を味わえるものが数多く上がっていた。こうした得をしたい気分が蔓延したのは、時代状況と無関係ではない。いわゆる「競争化社会」が激化する中で、人々は、勝ち抜くことへの希求を強くした。みじめな気分を味わわないためには、どうにかして「勝ち組」に名を連ねなければならないと、多くの人が考えるようになった。 その中で重んじられるようになったのが「時間」だ。ライフハックのなどでくり返し言われるのは、「時間」こそが万人に与えられた共通のリソースであり、従ってこのリソースをいかに有効に使うかということが、競争の趨勢を決め、勝ち組と負け組とを分かつ分水嶺になるということだった。 この考え方は、特に若者を中心に驚くほど広範に広がった。どんな人間も、皆時間に追

    DRAM64KB
    DRAM64KB 2009/01/01
    競争社会,個人主義,脱共同体が行き着いた結果,コミュニケーション自体とその支援が重要なコンテンツになっている。その現状を理解できないからこういう話を書く。可哀想。テレビの時代はもう終わったのよ。