当事者的な、痛みがある文章を書きたいと、思っていました。 精神疾患や生きることの苦しさを抱えている、本人の声というものが、専門家の本などには不在だからです。 専門家の文が専門家的なのは、当たり前のようでいて、専門家を志すきっかけが生きづらさだったりすることもあることを考えると、どこまで個人的なスパイスを入れるかのジレンマを想像します。 「考えること」と「感じること」 考えることは、或る事柄の一端に触れて知識を深めていくことと、その知識を使ってものの見方を変えてみる試みと、そこから見えたことを深掘りするための材料探し、という「知識を得る・知ること」と「思考する・考えを巡らす」ことからなっていて、それらが片方だけでは機能しなくて交互に働くことだと思います。 感じることは、そのまま五感で受け取った刺激もそうですが、心での受け取り方も含んでいると思います。受け取り方は、個人の思考癖や、それまでの人