牛腸茂雄 シリーズ「日々」より 1967-70年 コンポラ論の当否は、プロヴォークとの差異に掛かっている。同じ時代に現れたこれら2つの写真表現は当初から混同されがちであった。ワイドレンズ、横位置、日常のスナップショット・・といった共通点を列挙する議論には事欠かない一方、その差異のほうは「フィルムあるいは印画の仕上げのみ」(後出記事、東松照明)、つまりコンポラ=小綺麗な写真、プロヴォーク=アレ・ブレ写真というエフェクトの相違、あるいは前者は現実肯定的(ノン・ポリティカル)、後者は現実批判的(ポリティカル)というような制作態度の相違 —所詮は見る側の印象に依存した不分明な相違— にのみ求められることが多く、きちんと線引きのできた批評は皆無に等しい。 だがプロヴォークの同人、森山大道と中平卓馬は、コンポラ写真と混同されることをはっきりと拒絶している。 森山:[…]何でもないということを叙述してい