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2015年12月12日のブックマーク (5件)

  • 盗撮されてそれがネットに出回るということ - おうつしかえ

    昨日のニュース。 www.asahi.com この事件の場合は悪意のある投稿のようでしたが、これがもっと悪意を感じないものだったらどうでしょうか。ちょっとにやにやしてしまうみたいな面白コメント、誹謗中傷ともとれないような微妙なコメントのように、明確な悪意がない場合。面白風景、面白画像の場合はどうでしょうか。 ◇ 誰でも、変なポーズをしていたり、変な顔をしている瞬間はあるものです。当たり前です。いつも自撮りしているみたいな素敵な表情やポーズをしているわけではありません。360度いつもいつも素敵でいられるわけがありません。ふとした瞬間を撮られたときに、ものすごく変な顔だったり面白ポーズだったりすることは、撮影を依頼して撮った写真の中にもあるはずです。ましてや、意図しない撮影ならそんなことはいくらでもあるでしょう。 [広告] 何も悪いことはしてないのに、そんな一瞬を見ず知らずの人に勝手に撮影され

    盗撮されてそれがネットに出回るということ - おうつしかえ
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/12/12
    “ 日常を切り取る形で撮影したものを最初にネットに載せてしまった人は、それほど悪意もなかったかもしれません。そして当時本気を出せば、流した人は特定できたかもしれません。でもそれよりも大変だったのは、そ
  • 社会学方法論と社会調査論の関係 - 社会学者の研究メモ

    (長文かつ専門家向けであり、一部の人以外にとってはあまりおもしろくない記事なので、あらかじめご了承ください。) 教科書的な社会学方法論 教科書的な社会学方法論においては、主観主義的立場と客観主義的立場の分断について論じられることが多い。いくつかのテキストブックには、主観主義的立場の元祖はウェーバーであると書いてあり、それはウェーバーが「理解社会学」の方法として「行為の行為者にとっての意味を理解することが必要だ」と説いたことに根拠付けられている。これに対して客観主義的立場の元祖はデュルケムであり、それはデュルケムが個人の外に存在する社会的事実に注目せよ、と説いたことに由来する。 他方で、社会学の実証研究に従事している人たちは、多くの場合こういった区分をそもそも参照していないように思える。つまり社会学のテキストブックに書かれているような方法論と、現在実践されている、特に社会調査論に依拠した経験

    社会学方法論と社会調査論の関係 - 社会学者の研究メモ
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/12/12
    “要するに、統計学的に行為を説明することは、通常の行為の説明の際にそういった情報が参照されることに意味がある限りで、意味を持つ。したがって、概念の定義について明確にしようとしたり、行為の意図や動機を問
  • 関学大学院の講義で話したこと:社会学における計量分析の位置づけ - 社会学者の研究メモ

    鈴木謙介先生の紹介で、関西学院大学院社会学研究科で4週にわたって講義を行った。さいわい受講者に恵まれ、ヘタな講義にもかかわらず、そこそこ実りのある授業ができたのではないかと思う。この記事では、そこで話をしたことを備忘録代わりに軽くまとめておこう。あわせて、講義内ではうまく伝えられなかったことについての補足の意味もある。 1講 実証=調査ではないこと 私の役割は、計量分析の視点から生活保障について講義をすることだった。そこで、最初に計量分析とはなんぞやというところからはじめた。そのなかでも冒頭で話をしたのは、「実証=調査」ではない、ということだった。 しばしば社会学では実証というとすぐに(質的にしろ量的にしろ)「社会調査」だと考えられてしまう。しかし、より広い科学の世界を見渡してみれば、少なくない分野において調査データは「二流市民」扱いなのだ、ということを説明した。因果関係をより正確に特定し

    関学大学院の講義で話したこと:社会学における計量分析の位置づけ - 社会学者の研究メモ
  • 「公共性」ノート:『公共性の構造転換』第五章 - 社会学者の研究メモ

    第二弾はお馴染み、第二世代フランクフルターの旗手、ハーバーマスの『公共性の構造転換』。 公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 作者:ユルゲン ハーバーマス出版社/メーカー: 未来社発売日: 1994/06/01メディア: 単行 これはレビューがたくさん出ているので「いまさら」な古典ですが、第5章「公共性の社会的構造変化」を中心に、気になったところを少しだけピックアップ。 第十六節 公共圏と私的領域との交錯傾向 ハーバーマスの公共性の構造転換の一番のポイントは、公共圏の変質というよりは、その背景にある「国家と社会の分離とその後の交錯(相互浸透)」であると思う。国家(公権力)と社会(ブルジョア社会)の分離を社会経済的前提として、その間に成り立つのが市民的公共圏(討議空間)であるので、国家と社会の分離がなくなれば市民的公共圏もその基盤を掘り崩されてしまう。この節ではその「国家

    「公共性」ノート:『公共性の構造転換』第五章 - 社会学者の研究メモ
  • なぜ経済学には権力という概念がないか - 社会学者の研究メモ

    (今回の議論はたぶん、かなり穴があります。ご承知おきを。...ってブログの記事はそもそもそういうものか。) 経済学に権力という概念が全くないわけではないと思うのですが、社会学ほどは目立たない概念でしょう。なぜでしょうか。 このことは、権力の定義を考えると自ずと見えてくるのではないでしょうか。まず手始めにWikipediaをみてみましょう。 権力(けんりょく、ドイツ語 Macht、英語 power)は、何らかの物理的強制力の保有という裏づけをもって、他者をその意に反してでも服従させるという、支配のための力のことである。権力者とは、そうした権力を独占的に、あるいは他に優越して保有し、それを行使する可能性をもつ者を言う。(権力:Wikipedia) ウェーバー的な定義ですが、日常的定義(人々が権力という言葉でどういった状態を指しているか)としてはこんなもんで十分なんじゃないでしょうか(フーコーの

    なぜ経済学には権力という概念がないか - 社会学者の研究メモ
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/12/12
    “これが要するに権力ですが、規範的モデルでは権力配分は効率的であり、(レントがないとすれば)上司の意思決定に不満を持つ理由がなくなります。なので権力を問題にする必要もなくなります”