福岡の事件を聞いて僕はひどくショックを受けた。事件の続報を追う気力が萎えてしまうには十分なほどに。断片的に伝えられた事件の背景に僕の子供のころと似ている点があったからだ。身体に障害のある母親、発達障害のある子供、子供が親を詰り、親が子供を殺した。それが僕が知っている事件の全てといっていい。そして学童保育という単語。学童保育。ガクドー。僕も、両親の仕事が忙しかったので学校が終わると家ではなくガクドーに寄っていた。もちろん喧嘩はしたけれどそこでの時間はそう悪いものでもなかった。図書室で本を借りて帰ればいくらでも想像の世界に没頭できたし、学校のものに比べると小さかったけれど鉄棒や滑り台といった遊戯具もあったし、ピアノやアコーディオンといった楽器もあった。いくらでも時間は潰せた。僕は扱いづらい子供だった。通信簿の備考欄みたいなところには「集団生活に難あり」みたいな記述がいつもあって、それをみても親