現代プロレスは観客をハッピーにさせることが「是」とされる傾向にある。そんな多幸感こそが「次もまた観に来よう」という集客&人気にもつながる。健全な考えだ。 実は昭和時代のプロレスに多幸感は薄かった。それよりもハラハラやドキドキ、怒りこそが重要視された。ゴールデンタイムのテレビ中継で毎週、人気ドラマやバラエティ番組と視聴率戦争を繰り広げていた事情もあり、視聴者やお客さんを「満足」させることよりも「来週は一体どうなる?」という継続性こそが優先された。 幸か不幸か? 多くの団体がテレビ中継と無関係となった平成マット界が、観客をハッピーにさせる方向へと舵を切ったのは必然だった。今号のテーマは「ベストバウト」だが、今もなおエポックメイキング的な意味も込めて「ベスト興行」と語り継がれるのが、ともに両国国技館で行われた1994年の『第1回スーパーJカップ』と翌年の『第2回スーパーJカップ』だ。 「面白いモ
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