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ブックマーク / sessai.cocolog-nifty.com (82)

  • どうでもいい判決 - 雪斎の随想録

    ■ 時間がないので感想を一言だけ書く。 □ 9月22日付・読売社説(1) [国旗・国家訴訟]「認識も論理もおかしな地裁判決」 日の丸・君が代を教師に義務づけた東京都教委の通達と校長の職務命令は違法――東京地裁がそんな判断を示した。 教師には、そうした通達・命令に従う義務はない、国旗に向かって起立しなかったり、国歌を斉唱しなかったとしても、処分されるべきではない、と判決は言う。 都立の高校・養護学校教師、元教師らが、日の丸・君が代の強制は「思想・良心の自由の侵害だ」と訴えていた。 学習指導要領は、入学式などで「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定している。判決は、これを教師の起立・斉唱などを義務づけたものとまでは言えない、とした。 しかし、「指導」がなくていいのだろうか。不起立で自らの主義、主張を体現していた原告教師らは、指導と全く相反する行為をしていたと言えるだろう。

    どうでもいい判決 - 雪斎の随想録
  • 時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられていくんだ…。 - 雪斎の随想録

    ■ 今週は、「時代の移り変わり」の一週間である。 一九八〇年代後半に日テレビ系が放映したテレビ・ドラマ『田原坂』の中で、風間杜夫さん演ずる木戸孝允が次のような台詞を発している。西南戦争最中、京都で病に倒れ臨終の時を迎えようとしていた木戸が、見舞った近藤正臣さん演じる大久保利通に語るという設定である。 「わしの役割は終わった…。時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられていくんだ…。わしも西郷も…。やがて、おぬしも…」。 雪斎は、雑誌『論座』に載せている「対中関係という『抵当』は解除できるのか―『時代に招かれた宰相』の条件」で、小泉純一郎総理を「時代に招かれた宰相」と呼んでいる。この表現の仕方は、率直にい」えば、この木戸の台詞から影響を受けている。ドラマ『田原坂』を観たのは、二十年近く前、政治家の言行録に触れるのが、何よりも楽しかった時代である。だから、この木戸の台詞には、たとえそれがドラマの

    時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられていくんだ…。 - 雪斎の随想録