実はひねくれ大先生へのオマージュ 映画になるな。本書を読み終えて、ただちにそう思った。 オープニング・シーン。人品卑しからぬオジサマが、道を行く。正体不明だ。時折り、かがむ。その動作が何回か繰り返される。何をやっているのか。手元にぐっとカメラが迫る。お、なんと。空き缶を拾っている。釘を拾っている。紙切れを束ね集めている。 次第にフェードアウト。そして、森林が、山脈が、大地が、里山が画面一杯に広がる。それらはやがて地球のイメージに集約されて行く。 こんな感じで始まった映画は、中盤で手に汗握るサスペンス物になる。その時点では、当然ながら、正体不明の紳士は正体不明ではなくなっている。「地球を救う」すなわち「地救」を唱える彼は、グローバル資本と、その手先たる政治家どもに命を狙われる。だが、無数のグローバル市民サポーターたちの一致団結が、彼を地球破壊主義者たちの毒牙から守り抜く。 イメージはどんどん