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2014年4月10日のブックマーク (2件)

  • 『人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ』 文庫解説 by 浜 矩子 - HONZ

    実はひねくれ大先生へのオマージュ 映画になるな。書を読み終えて、ただちにそう思った。 オープニング・シーン。人品卑しからぬオジサマが、道を行く。正体不明だ。時折り、かがむ。その動作が何回か繰り返される。何をやっているのか。手元にぐっとカメラが迫る。お、なんと。空き缶を拾っている。釘を拾っている。紙切れを束ね集めている。 次第にフェードアウト。そして、森林が、山脈が、大地が、里山が画面一杯に広がる。それらはやがて地球のイメージに集約されて行く。 こんな感じで始まった映画は、中盤で手に汗握るサスペンス物になる。その時点では、当然ながら、正体不明の紳士は正体不明ではなくなっている。「地球を救う」すなわち「地救」を唱える彼は、グローバル資と、その手先たる政治家どもに命を狙われる。だが、無数のグローバル市民サポーターたちの一致団結が、彼を地球破壊主義者たちの毒牙から守り抜く。 イメージはどんどん

    『人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ』 文庫解説 by 浜 矩子 - HONZ
  • 『一瞬のアジア』 - HONZ

    写真は被写体のどこまでを表現することができるのであろうか。人間という存在はその体内に無限ともいえるような心の広がりと、どこまでも続く深淵のような精神を宿しながら、それでいてごく些末な日常の中を生きている。誰しもが自身の心の広がりと精神の深さを感じつつも自己の精神の中に深く潜る事を避け、表層の部分に現れる些細な感情の中に生きる。自身の中に深く潜り、心の表層に現れる感情の根底を探ることは、とても時間のかかる行為であり、また多くの苦しみを要する。だがその広がりと深みがなければきっと人間という存在は、もっとつまらないものであったであろう。 人間の中に宿る精神の神秘を時に写真家という職業は、見事なまでに炙り出す時がある。だが、それは決してどのような写真家にでも可能な行為ではないであろう。当に自身の心の深みと対峙したことのある者にしかそのような芸当はできないのではないか。人間という名の小宇宙が、外界

    『一瞬のアジア』 - HONZ