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2011年3月31日のブックマーク (7件)

  • あ〜いえば枝野? あまりの冗舌ぶり「上祐2世」の揶揄も - 政治・社会 - ZAKZAK

    枝野幸男官房長官が、福島第1原発について、5、6号機も廃炉とする方針を明言した。東京電力が1−4号機までの廃炉方針を表明した後に、政治主導でさらに踏み込んだ形だ。震災発生以来、政府のスポークスマンとして連日露出して評価を高めているが、肝心な質問をはぐらかすこともしばしば。この人を信用していいのか。  「政府が判断する以前に、全体の状況からはっきりしている」  枝野氏は30日夕、東電の勝俣恒久会長が1−4号機の廃炉方針を表明した後の記者会見で、5、6号機の扱いを聞かれてこう明言した。  震災発生以来、枝野氏は存在感を増している。  報道陣の質問を避け続けている菅直人首相に代わり、会見は50回超。資料を朗読せずに自らの言葉で語り、暴言を連発した前任者の仙谷由人官房副長官とは違って大きなハレーションも起こしていない。  海外メディアは、その不眠不休の働きぶりに目をつけた。地震直後、官邸内の執務室

    EG_6
    EG_6 2011/03/31
    “インターネット上では、(中略)マスコミの追及を狡猾な弁舌でかわした上祐史浩氏になぞらえて『上祐2世』と揶揄する向きもあります”…って、ほんとにそんな動きがあるの?
  • 東日本大震災:津波に耐えた松1本、復興のシンボルに - 毎日jp(毎日新聞)

    津波に襲われながら、1だけ残った松=岩手県陸前高田市で2011年3月31日午前6時6分、矢頭智剛撮影 東日大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の名勝「高田松原」で、1だけ残った松が空に向かってまっすぐ立つ。幾度も津波を乗り越えてきた松原も今回ばかりは根こそぎなぎ倒されたが、それでもこの松だけは耐え抜いた。 市によると、高田松原は約350年前、防潮林として数万の松が弓なりの砂浜に植えられた。1927年には日百景に選ばれた。市や支援活動に当たる自衛隊などは復興を目指す市民の支えにと、松のイラストと市章を組み合わせたシンボルマークを作った。市の担当者は「苦しいとき、つらいときにはこの1の松を思って頑張ってほしい」と思いを語る。【沢田勇】

    EG_6
    EG_6 2011/03/31
    “市や支援活動に当たる自衛隊などは復興を目指す市民の支えにと、松のイラストと市章を組み合わせたシンボルマークを作った” ―おお、 Lone pine beach...
  • 被災した婚約者。円満に婚約を解消したい。 | 恋愛・結婚 | 発言小町

    マトーヤといいます。7月に結婚を予定している婚約者がいます。 先の大震災で私達の住居や職場が被災しました。披露宴の場所も被災しています。 私は関西の実家に避難し、彼も復興に忙しい状況です。 彼はある程度の復興後(いつになるのかは分かりませんが)に結婚と考えているようですが、 私は婚約を解消してゼロからやり直したいと思っています。 というのも、彼の職場が大きく被災したり、彼の実家の持つアパートのいくつかがダメになったりと 今後の彼が抱える復興の負担は非常に大きく、私との結婚が重荷になると思ったからです。 彼には、結婚で負担を抱えるエネルギーがあるのであれば、被災した生活の復興にまわして欲しいのです。 (私は関西での再起をになると思います。) そこで、円満に婚約を解消していくように彼を説得したいのですが どのように説得すればよいでしょうか? (出来れば彼を見捨てたといった噂が立たないようにした

    被災した婚約者。円満に婚約を解消したい。 | 恋愛・結婚 | 発言小町
    EG_6
    EG_6 2011/03/31
    …これは大きな大きな釣り針だと思ったけどね。
  • 東日本大震災の気分的総括について - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    まだ初動対応は終わっていない、という気持ちもあるけど、11日に震災が起きて一応は約三週間経過したというのもあって、個人的に考えていることの総括の項目出しでもしようと思います。ありがたいことに月刊誌からも寄稿のご依頼を頂戴していたのですが、この手の話題を披露して原稿料を貰うようなのは流儀じゃないのと、いますぐ書いてアップしてしまうことで一刻も早く自分の気持ちに整理をつけたいというのがありまして、ブログで書くことにしました。 最初に書いてしまいますが、理性では「大丈夫だろう」と思っていても、いまだにとても不安です。それも、誰かと分かち合えるような不安ではなく、また、自分の生命に対する不安ではなくてですね。 もし同じような災害に遭って、愛する家内や私の息子たちが冷たい波の下に沈んでしまったら私の人生のその後何を糧に暮らしていくのかとかいう、意味はないけど拭い去れない「たられば」の不安と、私たちが

    東日本大震災の気分的総括について - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    EG_6
    EG_6 2011/03/31
    隊長のブログで皮肉や韜晦成分のほとんどないエントリーは珍しい。全面的に賛意を、とまではいかないけど、“必要なことは、議論することです。” …うむ。
  • asahi.com(朝日新聞社):市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 - 社会

    児童らが避難した後、津波で押し寄せたがれきに覆われた越喜来(おきらい)小学校の非常通路(中央)。右の児童たちも、この通路から高台に逃れて助かった=28日、岩手県大船渡市三陸町越喜来、仙波理撮影平田武さん=親族提供津波避難用の非常通路が取り付けられていた場所(写真中央)には、流されたがれきが山積みになっていた=岩手県大船渡市三陸町越喜来、其山写す越喜来小学校の非常通路  岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。  海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、

    EG_6
    EG_6 2011/03/31
    “大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた” ―この方も先見の明。
  • asahi.com(朝日新聞社):手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 - 社会

    「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉美奈子撮影  「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。  東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。  近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造っ

    EG_6
    EG_6 2011/03/31
    “「老後の道楽も兼ねて造った避難所で一人でも多く助かってよかった」「もっと多くの人に『ここに逃げて』と伝えられていれば」” …ノアの方舟に例えたら失礼か。
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    p4j - がんばれ日!! 「p4j」は有志ボランティアによって運営されるブログです。 皆さんの判断材料になるような海外大手メディアの翻訳や、こころが明るくなる話題を届けていきたいと思っています。被災地の復興と、またみんなでワイワイ出来る毎日を取り戻すために。

    EG_6
    EG_6 2011/03/31
    “「なぜ自分の命を省みず、奥さんを救いに行ったのですか?」「彼女はとても大切なひとだから」” ―すごい。でも、そう考えて助けに行き、戻らなかった人もいるのだろうなぁ。