作家司馬遼太郎さんは中国という国について「古代のほうが近代的だ」という独特の表現をされました。それは古代人の自由な思想を意味します。 何千年もの間、日本の何倍もある広大な領土にいくつもの国が割拠ししのぎを削り、明日をも知れない毎日を生き延びてきた人々が得た人生訓が、中国古典には散りばめられています。 中世の時代、私達の先祖はそんな歴史がある中国から書物を輸入し、教養の基礎としてきました。 水戸黄門で知られる水戸光圀は、十代の頃周囲から反感を買うほど遊びまわっていましたが、司馬遷の『史記』という歴史書を読んだことをきっかけに、別人のように改心し、勉学に打ち込みました。 明治時代に近代日本経済の発展に尽くしたあの渋沢栄一は、6才の頃から漢籍を父親から教えられ、様々な中国古典を熟読し、中でも『論語』を愛しました。 中国古典は決して“他国の書物”にとどまらず、日本人を理解する上で欠かせない存在です