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  • どんなときに「自由度」といいたくなるのか - 青色3号

    経緯 もともとこういう語の使いかたには興味があったし、だからディスコエリジウムをだしにロールプレイについてうだうだしたときにもすこし触れてはいた。そのうえで、上野「ゲームにおける自由について」1およびそれに対する松永さんのコメント、あるいはシカール『プレイ・マターズ』あたりを読んでよけいに気になっていた2。そしてそうこうしているうち、こないだ「自由度」をキーワードにしたTotKのレビューを読むにいたって、せっかくだから書きながら考えてみようとおもったわけだ。自分はけっきょく、ビデオゲームについて考えるときに出てきがちな「自由度」という語をどうとらえてるんだっけ、と。 省みる前に とはいえ一般的なとらえられかたでいえば、先述の松永コメントにあるとおり「あるゲーム(のある場面)におけるプレイヤーの選択肢の幅の広さ、あるいはプレイヤーに対する指令の少なさ」でよさそうだ。(しっかり用例採集したわけ

    どんなときに「自由度」といいたくなるのか - 青色3号
    ET777
    ET777 2023/06/24
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