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2011年7月11日のブックマーク (1件)

  •     クレーン謙公式ブログ

    ーー銀行に勤めたり、写真スタジオを共同経営した後のウイリアムの足取りを追います。 彼の資料を色々と見ていますと、ウイリアムの音楽に対する情熱やこだわりが浮かび上がってきます。 明治の初めには、彼の職業は『ピアノ調律師』であると書かれています。 銀行を辞め、写真事業に失敗したウイリアムはピアノ調律師へと転身したようです。 明治3~4年の居留地人口は、400名ほど。イギリスとフランスの軍人をカウントすれば、もっと多かったとは思います。 ーーしかしこの頃、日にどれだけの数のピアノがあったのか、見当がつきませんが、どう考えても数える程でしょう。 ……現代では、一台のピアノを調律して謝礼が1万5000円ほどらしいです。 果たして、あの時代に『ピアノ調律師』という仕事が職業として成り立つのか疑問ですが、もしやウイリアムには蓄えがあったのか、あるいはシンガポールの実家から仕送りがあったのかもしれません