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  • 討論×闘論 » 記事アーカイブ » 父への挨拶 | ブログ | Reuters.co.jp

    宮城県東松島市の仮土葬場に着くと、熊谷若菜(6)は車を飛び降り駆け出した。大好きなお父さんに会いに来たのだ。若菜は舞踏会でのご挨拶のような仕草で、父と対面した。 この日、4月21日は若菜の小学校の入学式だった。母親と兄と共に式に出席した後、真っ赤なランドセルとドレスを着て、父に入学の報告に来たのだ。 父、和幸は土の中で眠っている。享年31歳だった。 3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した直後、母は和幸からの電話を受けた。「津波が来る。子供たちを連れて、(避難所の)小学校へ行け、自分も後で行く」 母は車で2人の子供を迎えに行き、小学校に向かう途中で津波の第1波にのまれた。ドアが開かなくなった車から何とか出た3人は海水に覆われた街の中を、避難所である東松島市立大曲小学校に何とかたどり着き、父の到着を待った。 4日後、父は遺体で見つかった。家族が待つ小学校の近くだった

  • 討論×闘論 » 記事アーカイブ » 日本とハイチ:2つの震災で見た「顔」 | ブログ | Reuters.co.jp

    ロイター通信上海支局 Carlos Barria 1年前、私はロイターの取材チームの一員として巨大地震に見舞われたハイチにいた。そこでは約25万人が命を落とし、100万人が仮設避難所での生活を余儀なくされた。 そして今年、3月11日に発生した東日大震災の取材チームに加わることになり、沿岸地方に壊滅的な打撃を与えた巨大津波の爪あとや原発危機を追った。 2つの大地震は非常に異なるものだ。地球の反対側に位置し、全く異なる文化的背景を持つ全く異なる国で起きた。ハイチは西半球の最貧国で、政局は混乱が続いていた。一方の日は世界で最も裕福かつ近代的な国で、世界第3の経済を持ち、ハイチにいち早く支援を送った国でもある。 しかし、この2つの大規模災害を取材し、いくつもの共通点があることに気付かされた。 宮城県気仙沼市でがれきの中を歩きながら、この惨状をどう伝えたらよいかと思案していた自分の目の前は、およ

  • 討論×闘論 » 記事アーカイブ » Waves of disaster 「相次ぐ災害」 | ブログ | Reuters.co.jp

    *ロイターUSサイトReuters Full Scopeからの抜粋です。 3月11日、巨大な地震が日を襲った。沿岸部に破壊的な大津波が押し寄せ、核の大惨事の瀬戸際に立たされた。この大災害を取材した8人のロイターのカメラマンが現地で見た光景を語った。 東京支局カメラマン 花井亨 あまりにも大き過ぎる被害と悲しみに、どんな言葉も思い当たらない。ただ、今は母国で起きたこの現実を写すことだけに専念したい。 バンコク支局カメラマン Damir Sagolj 普通の日人がこの大惨事に対処する様子に興味を持った。これまで色々悲劇的な出来事を取材してきたけれど、今回はまったく特別だと言うほかない。略奪は無いし料や燃料や避難所での居場所をめぐる争いも無い。皆寒くて空腹であるにもかかわらずだ。この人たちは燃料を手に入れるために数キロもの列を作って待っている。まるで遊歩道でおしゃべりしながらアイスクリーム

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