ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (5)

  • ペンギンやイルカを観てもらえない水族館を、つくっていませんか? - いつか電池がきれるまで

    人間って、愛着が強くなりすぎると、ついつい、「Aに対する自分の視点」=「Aに対する他者の視点」だと、思いこんでしまいがちです。 自分の子どもは、他人も同じように「かわいい」と思ってくれているはず、という錯覚。 僕はこんな話を思いだすのです。 「水族館の通になる」(中村元著・祥伝社新書)より。 初めて訪れる水族館では、あるいは水族館が好きな人ほど、途中で時間がなくなって、一番楽しみにしているコーナーをじっくり見ることができなくなってしまう。残念なことに、水族館の最後のクライマックス展示コーナーを、足早に駆け抜けてしまう人はかなり多いのだ。 大きな理由は、水族館のアリの巣のように曲がりくねった通路に入ってしまうと、建物のどこにいるかが分からなくなり、距離感や時間間隔を失ってしまうからだが、それに輪をかけて、水族館を作った人の意図と、観覧者の気持ちに大きなズレがあることを知っておくといい。 水族

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    EngawaFC 2013/12/09
  • あの頃、中学生だった僕と『ドラゴンクエスト(1)』 - いつか電池がきれるまで

    『ドラゴンクエスト(1)』(Wipipedia)より。 ドラゴンクエスト』(英語: DRAGON QUEST)は、1986年(昭和61年)5月27日に エニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン・ FC)用ロールプレイングゲーム。 スマートフォン版『ドラゴンクエスト』僕も開始時刻を待ち構えてダウンロードしたのですが(結局、12月10日まで無料配信されることになりました)、まあなんというか、懐かしいような、スマートフォンでやるのは操作がつらいなあ、とあらためて思い知らされたような。 そもそも、スマートフォンのゲームって、あんまり長時間続けてやることはないですしね。 しかし、もう発売されてから27年になるのか……というのは、実に感慨深いものです。 『ドラゴンクエスト』って、たぶん、いま20代くらいの人にとっては、「物心ついたときから、続編が心待ちに

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    EngawaFC 2013/12/02
    ちゃんとゲームをひとつの物語にまでしたのはドラクエがはじめてだったのですね。
  • 16歳の女の子が語った「勉強することの意味」 - いつか電池がきれるまで

    『○に近い△を生きる』(鎌田實著/ポプラ新書)で、こんな話を読みました。 16歳のマララさんは、パキスタンの女学生だった。女性が勉強する自由を訴えたために、イスラム原理主義のタリバンに銃撃され、瀕死の状況に陥った。それを乗り越え、自らの誕生日に国連で演説をした。 「タリバンは私や私の友人を銃弾で黙らせようとしたが、失敗した。 テロリストは何も変えられなかった。 私から弱さと恐怖、絶望が消え、強さと力、勇気が生まれた以外は」 銃弾は女の子を黙らせることはできなかった。この女の子は銃弾を受けたことによって怖いものがなくなったのだ。かえって勇気が生まれたという。 なぜ勉強するのかがわかる、マララさんの大事な言葉である。 「私を撃ったタリバンを私は憎まない。もし私が銃を持ち、彼らが目の前に立っても私は撃たない」 これが勉強することの意味なんだ。首相の安倍さんはやられたらやり返す力を持った普通の国に

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    EngawaFC 2013/11/22
    「撃たない」という結論ありきじゃなく「撃つべきか撃たざるべきか」をしっかり見極めようと勉強した末の「撃たない」なのでしょう。そこではもう迷いは通り過ぎている。
  • 「露出狂」として生きていくのは難しい - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:芸術家は露出狂 - (チェコ好き)の日記 「批評家の大部分は、創作側にまわりたかったけどかなわなかった人間」だというのは、身につまされる話だなあ、とか思いながら読みました。 『地獄変』は僕も大好きな作品なのですが、そういえばけっこう昔、デビュー直後くらいの裕木奈江さん(みんな覚えてる?)が、『好きな文学作品は『地獄変』」とどこかで言っているのを聞いて、「えっ?」と一瞬フリーズしたのを思いだしました。 秋元康さんお気に入り(だと当時言われていた)アイドルさんが『地獄変』だあ? 当に読んだことがあるのかねえ……なんて内心疑っていたのですが、その後の裕木奈江さんの人生行路を考えると、あれは当だったんだろうな、と。 こうしてブログなどを書いていると、いろんな反応をいただくのですが、まあなんというか、創作というか「人前に自分がつくった何かをさらす」というのは、かなり恥ずかしいことでは

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    EngawaFC 2013/11/18
    自分が「これだ!」と思って発信したものに対して、それだけの「責任」と「自信」をもっているなら、ちょっとぐらい好き勝手言われようがなんてことはないのだと思います。
  • 「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:“サードブロガー”再考 - あざなえるなわのごとし いまさらながら、という話なのですが、僕なりにキチンと整理しておかないと気が済まなくなってしまったので、書き残しておくことにします。 ブログ論とかに興味がない人は、長くて何が書いてあるのかわからない記事だと思いますのでスルー推奨。 はてなブログを中心として盛り上がっていた「サードブロガー運動」に対して、僕は冷ややかに見ていました。 新しい人たちに出て来てほしいなあ、と思いつつも「サードブロガー」と名乗る人たちに共感できないのは、たぶん、彼らの多くが書いている内容が「ライフハック」とか「ブログ論」とか「身内への言及」とかで、「内容は全然新しくないのに、看板だけ換えているようにみえるから」なのだと思う。— FUJIPON (@fujipon2) 2013, 10月 25 当に内容が差別化できていれば、看板なんてどうでもいいし、周囲

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    EngawaFC 2013/11/15
    Inujinさんが最初に提唱していた「サードブロガー」の概念は新しい何かをやってやろうみたいなことではなかったと思うんですけどね。結局アルファと同じ手法で居場所をつくろうとしてるというのは同意。
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