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考古と隋唐に関するEoH-GSのブックマーク (2)

  • 見つかった隋・煬帝の墓 暴君説も疑わせる数々の出土品+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    隋の煬帝といえば、希代の暴君として知られている。奢侈(しゃし)を好み、残酷な刑を復活させたりした。だが半面で、華北と江南を結ぶ大運河の建設や科挙制度の創設も行った。果たして暴君だったのかどうか。その真相が墓の出土によって、次第に明らかになりつつある。(フジサンケイビジネスアイ) 昨年3月、揚州の西湖鎮曹荘で不動産開発の工事中に2つの墓が発見された。特に1号墓からは、墓誌と多数の価値の高い副葬品が発掘された。これらの出土品から、この墓は煬帝のものではないかということになり、考古学会に一大センセーションを巻き起こした。 専門家の間からは、様々な疑問も出された。帝王の陵墓としてはあまりに規模が小さく、貧相ではないか? なぜ「墓」と呼ばれ、「帝陵」と名づけられていないか? なぜ当時の都である長安(今の西安)と離れた揚州に葬られたのか?

    見つかった隋・煬帝の墓 暴君説も疑わせる数々の出土品+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
    EoH-GS
    EoH-GS 2014/07/10
    すごい解説でワロタ
  • asahi.com(朝日新聞社):遣唐使「円仁」足跡 中国で発見 - 文化トピックス - 文化

    遣唐使「円仁」足跡 中国で発見2010年7月10日12時6分 石板の見つかった法王寺。中国でも最も古いとされる寺の一つだ=中国河南省、酒寄雅志さん提供 発見された石板からとった拓。左端の2行に「圓仁(円仁)」「大唐会昌五年」の文字が刻まれていた=酒寄雅志さん提供 9世紀の中国での人々の暮らしや信仰の姿を伝える詳細な記録「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」を残し、比叡山を日仏教の母山へと発展させた天台僧、慈覚大師円仁(えんにん)(794〜864)。その名を刻んだ石板が中国河南省登封市の法王寺で見つかった。苦難を乗り越え民衆の仏教をもたらした高僧の姿が、千年以上の時を超え浮かび上がってきた。 円仁が少年期を過ごしたと伝わる栃木県岩舟町の大慈寺を、法王寺の僧が訪ねてきたのは今年1月。住職の林慶仁さんに石板の写真を示し、「調べても中国には該当者が見あたらない」と、そこに刻まれ

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