会社のトイレが世紀末 醤油差し…
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さあ、ここからスタートだっ。 出たっ。全てのルーツ、のっけからのフラッシャー! 欲しかったよな、欲しかった。お母ちゃん、買ってよ、買ってよ、良い子になるからさぁ。しくしく。 なんてね。オレこの頃、ホントは3歳だったから知らないのさ。この頃欲しかったのはせいぜい「補助輪付き仮面ライダー自転車」程度だったから。 これは昭和44年(1969年)の丸石自転車の広告です。後ろに付いた「フラッシャー」と呼ばれる方向指示器。ここから全ては始まりました。 丸石自転車は、現在も意気軒昂。過激な自転車メーカーですが、最高にゴテゴテしていたのもこのメーカーでした。 同社の開発企画部長はこう語ります。 「フラッシャーを初めとする、テールライトやストップランプなどの電気部品。ああいうものが自転車にくっついたのは昭和40年代に入ってからでした。フラッシャー付き自転車を最初に開発したのは『日米富士自転車』なんですが、こ
子供達が憧れて乗る自転車は、ジュニアスポーツ自転車という商品として確立していました。 昭和40年代半ば~昭和50年代半ば、日本の1970年代に小・中学生時代を過ごした子供(主に男子)にとって避けて通れない存在でした。 ジュニアスポーツ車は特異な進化を遂げて行きます。特に、自転車としては過剰とも言える装備に進化の特徴を見る事が出来ました。 よくこの時代を『フラッシャー付き自転車』と一括りにしている方がいますが、時代ごとに装備が全く異なり、とても一括りには出来ません。 その各時代最大の特徴である『フラッシャー』『FF+PPS』『スーパーカーライト』『デジタル』に別けて紹介して行きます。 初期のジュニアスポーツ車は、ランドナータイプの自転車に似た装備を持つ自転車です。 フレームは、ダイヤモンドフレームのホリゾンタルフレーム(トップチューブが水平)で、前後にキャリアを装備し、外装変速機という辺りが
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