大 正12年(1923年)、大阪城の表門である大手門は、南控え柱を補強するため柱の根継ぎを行いました。この柱の継ぎ方は、東西両面(写真参照)は下の柱 が凸型の「蟻継ぎ」、南北両面(写真参照)は山型の「殺ぎ継ぎ」になっています。常識的に考えるといずれの方向からも柱を継ぐのは不可能です。このため長 い間「大阪城の謎」の一つとされ、新聞でも大きく報道されました( 昭和54年 6/5 毎日新聞 「どうやって継いだの 大阪城に?の柱 まるでチエの 輪 専門家も『常識外だ』」 )。 これ以来、大手門の柱継を見物にくる人はあとを絶たず、何人もの人が謎解きに挑戦してきました。 昭和58年(1983年)、この柱継手の謎に、ついに解答が出ました。エックス線撮影により柱の内部を解析し、謎が60年ぶりに解けたことが報道された のです( 昭和58年 12/12 朝日新聞 夕刊 「柱の”パズル”60年ぶり正解」