2021年2月13日のブックマーク (4件)

  • 父がひとりで死んでいた|如月サラ

    1月半ばに、独り暮らしだった父(84)が遠く離れた実家の自室で倒れて亡くなっているのが見つかった。死後1週間経っていた。 1週間前から嫌な予感がしていた。朝方目を覚ますと、寝室のドアが大きく開いて廊下の電気がついていたことがあったのだ。大寒の最中、ドアを閉めずに寝ることなどあり得ない。寒い空気がひんやりと寝室に流れ込んでいた。誰が開けたんだろう。この家には私しかいないのに。 その時にもう私の心は父の死を知っていたように思う。 父は名にちなんで自分のモノに「chika」と書いていた。人をそう呼んだことはないけれど、私はSNSでユニークな父のことを書くときに「チカさん」と書いていた。それに従って、ここからは父のことをチカさんと書いていく。 2020年夏、姥捨山に私を捨てて、と母は言ったチカさんが独り暮らしになったのは、2020年夏に母(82)が熱中症で倒れてからだ。母は2020年の年初から、

    父がひとりで死んでいた|如月サラ
    Evocacion
    Evocacion 2021/02/13
  • 記憶の扉

    今回の東日大震災におきまして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。 被害にあわれました皆様には心よりお見舞い申し上げます。 こんな時こそ前向きな希望のもてるテーマをご紹介していければいいのですが、 まだまだその様な気分にも慣れず、ご訪問頂いた皆様には大変申し訳ございませんが、 暫く情勢が落ち着くまで当ブログはお休みする事に致しました事をご了承下さる事をお願い申し上げます。 一刻も早く被害に遭われてる方が救助される事を心よりお祈り申し上げます。 テーマ:銀塩写真 - ジャンル:写真 2011/03/13(日) 22:00:55| 1957年 | トラックバック:0 | コメント:3 おそらく高山市の何処かの会館で開かれた秋の展覧会でのスナップ写真だと思います。 以前御紹介しました写真雑誌の入選作二点と二科展に出品して初入選「馬」の作品の前での記念撮影、少し自慢げな父の様子が窺え

  • 酒を飲み過ぎたおかげで天皇陛下からレスを頂戴した話|長瀬まぐま

    時は2018年8月5日。北海道の短い夏、真っ只中の日曜日のこと。目を覚ますと、それはそれは酷い二日酔いであった。 前日、私は結婚式に出席し、素敵な女性とゴールインした友人を祝い、ワインをたくさん飲んだ。そのまま二次会にも出席し、ビールをたくさん飲んだ。更にみんなと別れたあと一人で寄り道をし、日酒を飲んだ。そして帰った。おそらく帰った。記憶はないが、こうして無事に自室のベッドにいることが何よりの証拠と言えるだろう。そう、これは納得の二日酔い。ただ楽しい夜があった、それだけのこと。悔いる必要などない。何を隠そう私はプロの二日酔イストだ。こんなことは日常茶飯事である。 いやしかし、いつものこととは言え、つらい。胃はムカムカ、頭はズキズキ、横になっていてもクラクラクラクラ気持ち悪いことこの上ない。プロでもアマでも結局つらいもんはつらいのである。 「ああ、神龍の正油ラーメンべたい」 神龍(シェ

    酒を飲み過ぎたおかげで天皇陛下からレスを頂戴した話|長瀬まぐま
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    Evocacion 2021/02/13
  • とうとうホームレスになってしまった|内田かずひろ

    ホームレスになるとは思ってなかった。 昨年末まで住んでいたアパートは、当初より12月末で退去する約束だった。入居した時から取り壊しになる事もわかっていたのだが、何とかなると楽観的に考えていた。けれど他のアパートを借りるお金もなく、知り合いの家に厄介になったりしながらも結果的にはホームレスになってしまった。 生活保護の窓口である、区の総合福祉事務所に行った。ホームレスの状況では無料宿泊施設に入るしかないとの事だった。もうすぐ取り壊されるアパートには大量の荷物が残っており、ゴミ屋敷と呼ばれても仕方ない状況だった。退去した今も片付けに通っている。2月17日からは個展(企画としてギャラリーを提供して頂くので金銭的負担は無い)も予定している。 職員の方々は、親身になって相談に乗ってくださったが、無料宿泊施設に入るならば、個展も部屋の片付けに連日通うこともあきらめてもらわなければならないと言われた。

    とうとうホームレスになってしまった|内田かずひろ
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    Evocacion 2021/02/13
    画業も「出来る仕事」では。|「無料宿泊施設に入ったならば『やりたい仕事』ではなく『出来る仕事』をやるのだと、日雇いの仕事をしてもらうことになると言われた。」