この騒動の中、大阪タイガースの主力選手であった若林忠志・別当薫・土井垣武・本堂保次・呉昌征が毎日に移籍した。加盟賛成を表明しながらリーグ分立直前に態度を翻した大阪に対し、毎日が意趣返しに大量の選手引き抜きを行ったといわれた。 毎日時代[編集] 1950年 パ・リーグ公式戦開始より参入。本拠地は後楽園球場。毎日新聞東京本社運動部長で、戦前は明治大学のエースから前述の大毎野球団の一員となった湯浅禎夫を総監督、前大阪監督の若林忠志を監督(選手兼任)とする二頭制をとり(実質的には湯浅が監督権限を掌握し、記録上の監督も湯浅である)、大阪からの移籍組に、大洋漁業(後の大洋ホエールズ)から獲得した河内卓司・戸倉勝城を加えて「ミサイル打線」を形成、投手では前年の都市対抗野球を制した星野組のエース荒巻淳や、大洋から獲得した野村武史が活躍。10月25日、対東急戦に勝利して、活動1年目にしてリーグ優勝をし、日本
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