2020-08-25 22:12 日本を見れば分かる! 中国は論文数で躍進したが「論文数はノーベル賞に直結しない」=中国 中国メディアは「論文の数や引用数で成果をあげる中国に対し、日本はノーベル賞受賞者を輩出し続けている」と強調し、ここから日本と中国の違いが見て取れると論じる記事を・・・・
ブログ市長で話題の鹿児島県阿久根市に行って来た。 目的は、駅前に廃ブルートレインを再利用した宿泊施設があって、それに乗る(というか泊まる)ことだった。が、行ってみたら、むしろシャッター街のすごさに目を奪われた。 「シャッター街がすごい」なんて、まったく失礼な言い方のようだが、別に揶揄してそう言ってるわけではない。本当にすごいというか、なにやら面白いのだ。 順を追って説明したいと思う。 (T・斎藤) 地方は疲弊している その日、私はまず砂蒸し温泉で有名な指宿を訪れた。 駅前の広場に足湯があるなど、温泉街らしい楽しげな雰囲気もあったものの、商店街はこんな感じだった。 こういった光景は、九州各地で見受けられる。 佐賀県は有田駅で降りた時もやはり駅前がこうだったし、私が住む長崎県でも同様。さすがに長崎や佐世保など大きな所はそうではないが、諫早、大村、島原などのアーケードはこれに近い感じだった。 レ
当時力士だった男性(右端)の親族の事業をめぐる話し合いに、暴力団関係者(左端)が同席していた=東日本の飲食店(画像の一部を修整しています) 「あいつの行きつけのスナックがわかった」 「この男はカネに困っているとの風評がある」 大相撲の力士相手の野球賭博を資金源の一つとする西日本の暴力団事務所で、幹部らが情報交換していた。力士の髪を結う床山ら、相撲部屋に出入りする人の身辺を調べ、誰を力士との仲介役にするか話し合う「作戦会議」だ。 「番付上位の力士は1日に数百万円を張る。自営業の客などと違い、賭け方が豪快だ。相撲取り相手はもうかる」とこの組織の関係者は明かす。だが、いきなり力士を誘うことはしない。まずは力士との間を取り持ち、賭けの注文取りや集金をしてくれる仲介役を作る。暴力団の間では「中継」と呼ぶ。 「中継」の候補者のなじみのスナックがわかると、組員が出向き、偶然を装って近づく。時に
南陽市在住、第三回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作家の 深町秋生さんが、毎回、独自の視点で気になる漫画・お勧めのコミックをセレクト! 平成大不況の超氷河期と呼ばれる時期に就職した。 サラリーマンとして十年働いたが、会社の景気はずっと悪かった。自分の会社だけではなく、おおむねよそも同じであり、どこの企業も不況を乗り越えるために涙ぐましい努力を重ねていた。鉛筆や消しゴム、トイレットペーパーといった事務用品のきびしい管理。新人社員と入れ替わるようにして早期退職していくベテラン社員たち。また入れ替わりの激しいアルバイトや派遣社員にも対応できるように、徹底したマニュアル化を推し進めていた。石橋をさんざん叩いておきながらも、慎重になりすぎて最後まで渡ろうとしなかったなんてプロジェクトも山ほど目撃している。 ずいぶん世知がらい時代になったものだなあと毎年のように思っていたが、入ったばかりの若い社
サッカー日本代表は、決勝トーナメントに駒を進めた。 よく頑張ったと思う。 対パラグアイ戦は、延長を闘ってスコアレスドロー。PK戦で敗退した。 残念な結果だ。 退屈なゲームだったという声もある。今大会最大の凡戦であると。 たしかに、傍観者には退屈な試合であったことだろう。少なくとも、スペクタクルな展開ではなかった。 でも、私は、退屈しなかった。 当事者だからだ。 私の内部にはずっと見守ってきた4年間の蓄積がある。退屈している余裕なんかない。ボールがペナルティーエリアに近づくだけで心は千々に乱れた。あたりまえじゃないか。 「おい」 私はほとんど叫んでいた。 「リスクをおそれるなあ」 と。 それゆえ、試合が終わってみると、体中が硬直していた。 翌日は、節々が痛んだ。 でも、選手を責める気持ちにはなれない。甘いという人もあるだろうが、ファンはコーチではない。教師でも軍曹でもない。われわれは選手の祖
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