45年前、ヤクルトスワローズを球団初の日本一に導いた指揮官・広岡達朗は、優勝未経験のチームをどのように変革し、選手たちの心に何を残したのか。ノンフィクションライター・長谷川晶一によるNumber Webの新連載『「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズ』では、厳格や冷徹といったイメージの向こうにある「人間・広岡達朗」の実像に迫っていく。 連載第1回目は、チームリーダーとして初優勝の原動力となった“ミスタースワローズ”若松勉にロングインタビューを行った。(若松勉編の#1/#2、#3、#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時 「缶ビール事件」による広岡達朗への反発 1977年、シーズン中のことである。就任2年目となる広岡達朗監督と、当時30歳で脂の乗り切っていた時期にある若松勉との間で、後に「缶ビール事件」と称される出来事が起こった。遠征のための移動中、選手たちを乗せたバスがサービ