管理者の黃大仙が、脳梗塞で入院治療中です。右半身が麻痺しているため、ブログ更新を暫く停止させていただきます。 治療リハビリを頑張って進めておりますので、快復しましたら、ブログを再開させていただきます。 再開の際は、よろしくおねがいします。
オーストラリアに9年以上滞在する間に何とも不思議な事が何回かあったのです。 それは、名前とは名ばかりで あなたの本当の名前は何ですか? と頭に?マークが飛び交うような出来事が数回あった事です。 その最初の経験は私がサイトカインストーム(インフルエンザ後遺症による神経の炎症反応)で入院していた時の事です。 入院の初日に担当医が紹介されました。 その担当医は最初に私に挨拶をして、自己紹介をしました。 当然名前と顔を一致させて覚えるのが普通ですよね! 最初に顔と名前を一致させました! しかし何日か後に、その名前が書かれたネームプレートを付けた先生が来たのですが顔が違うんですよ!! 思わず、 「えっ!!最初に紹介されていた先生の顔と違う!!」 「あなたって〇〇先生じゃないですよね!?」 と言いました。 するとその顔が一致しない先生が、 「あー、今日私○○先生の代わりにあなたの問診をするから彼にネー
オーストラリアで語学学校に通っていた時に、私のクラスの担任だった先生にお子さんがいらっしゃいました。 その先生は子供に対して、教育熱心な方で良くオーストラリアの教育について授業中に良く嘆いていました。 特に文句を言っていたのは、数学に関してです。 子供がこのままではいけないという思いから、公文に通わせて計算できるようにしているとの話でした。 私は恥ずかしながらそんなに世界で公文が流行っているという事実を知らず、初めてこの先生からそんな話を聞いて知ったのです。 その先生の話によれば、オーストラリアの数学教育は形式のような物がなく暗記に頼っていて、(ビックリしたのは九九はなく)数が羅列されている表などを使って暗記させられている学校もあるようなのです。しかも筆算をせずに2桁まで暗記しているとの事を聞いてちょっと驚きました。 12×12=144 とかそういうのを暗記するなんて嫌になりそうです。 因
オーストラリアの現地企業で働く場合、残業ばかりすると不審者と思われ怪しまれる可能性があることについて書きたいと思います。 特にこれから欧米のような効率重視型の企業に入社したい、またはオーストラリアの企業に入社したいもしくはもう働いているという人に是非読んで欲しいと思っています。 それに日本の働き方に対する考え方とオーストラリアの働き方に対する考え方がどれだけ違うかというのも分かるのではないでしょうか? 私自身、残業すると不審者に思われるかもしれないという話を最初に聞いたのは大学のチュートリアルでした。その日は企業の情報についてのセキュリティー管理についてみんなで勉強する日でした。 どういった状況で情報を管理している時に情報漏洩しやすいかという話が終わった後に、セキュリティーの点ではコンピューターなどのハード面を用いたシステム管理も重要だが気を付けなければいけないのは人である場合も多いという
自分がオーストラリアに住むまでは、オーストラリア人は早寝早起きの人が多く朝早くから近くにサーフィンに行く人が多いという情報をよく見かけていた。 そういう情報を載せている媒体は大体、彼らが健康的だという事が記載されている。 だから、当然規則正しく生活し睡眠時間もしっかり確保できているのがオージーのイメージだったけれどどうもそうではなさそうだという事が住んでいるうちに分かってきた。 特にシティーの近くでは、若い人達は夜中も結構騒がしくしているし、お酒を飲むバーなどもいつまでも賑わっている。 夜型人間も結構多そうだな、、という事実。 特にオーストラリアは日差しがきつく、日中気温が上がる場合も多いので夜の方が過ごしやすい場合も多く、私も結構夜型人間として活動している時もあります。 もしかして、オージーは不眠症に苦しんでいる人が多いのかもしれない。と思うようになったのは不運にも私がこちらで入院生活を
日本にいる時はそんなにナンパなんていうものに遭遇した事がなかったが、オーストラリアに来てから本当に何度も声を掛けられることが増えた。 なんでなんだろう? 私の場合、ほぼ全員が白人なので種類が違う人種を選んでいるのだろうか? 良く分からない。 それにしても、毎回フィーリングが何一つ合わない、どこかいかれていて会話ができない人間や勘違いをしている奴ばかりで嫌な気分になった事しかない。 今までにブログを読んでくれている人はだいたい知っていると思うけどこんな感じだ 年齢差がありすぎる人 (小学生、中学生、おじいちゃん) 英語マウントを取ってくる馬鹿 何故か最初から偉そうな奴 明らかにヤル事だけが目的の猿 私がとびきりの美人だと多分近寄りがたいから、こういう人達は声を掛けてこないだろうからやっぱり世の中不平等だなと思う。 顔面偏差値多分50位だもんな、分からんけど。 いつかフォロワーさん達に判定して
私は、一歩間違えばオーストラリアで大麻を使用する事になっていたと思う。 それできっと今も大麻を継続して使用していたんだろうと思う。 何故かというと、私は結構凝り性だということと、一度習慣にするとやめられない事があるからだ。 凝り始めると、一つの事を何時間も平気で続けたりもする。 例えば、ピアノを気づいたら時が止まっていて6時間弾いていたとか、Netflixなどの動画を気づいたら何本も見ていたりだとか、1冊だけ本を読んでやめようと思っていたのに結局3冊読んでしまったり、考え事していたら一日が終わっていたとかそんな時もよくある。 毎日必ずコーヒーを飲むし、チョコレートを食べないと気分が悪くなる。これをしないと1日が上手くいかないとさえ思えてしまうからだ。 だから、自分で思うに、中毒になりやすい人間だと思う。 私が音楽好きでなかったらきっと大麻を使用して、今も常習者だったと思う。 何を言っている
私が西オーストラリア州パースに最初観光で訪れた時、街を歩いているとなにか特別な気持ちを抱いた。ちょっと表現するのは難しいけれど一言で言えば"静粛"と言うのが正しいかもしれない。 街や人は動いている、 でもそこに静かに佇む何かが立ち込めたような気配、 歴史的建造物から放たれるその存在感。 私はそんな雰囲気がとても好きだった。 建物と建物の間にある"空間"の部分に惹かれたんだとも思う。 何故、その空間が気になるのだろうか? 私の存在がきっとその空間の中のどこかには必ず合致して、それだから風景自体が優しく包み込んでくれるようなゆったりした気持ちを抱くことが出来たからだ。 なんか、穏やかな気持ちになるというときっとしっくりくるだろう。 だけれどここ数年、何故か街中を歩いていると自分の居場所が少なくなっている。そんな不安感を覚え始めた。最初は何故だか分からなかったが、新しい建築物が建ち始めてから私の
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