寒山(生歿年未詳)は、唐時代の伝説的な風狂の詩人で、拾得(じっとく)とともに宋時代以降さかんに絵画化された。本図は古くから「風吹き寒山」の名で知られ、断崖から吹きつける風に髪と衣をなびかせながら、巻物を捧げ呵呵大笑する姿を描く。霊彩(生歿年未詳)は、京都・東福寺の画僧明兆(みんちょう 1352~1431)の弟子で、朝鮮に渡り、国王世祖(せいそ)に「白衣観音図」を献上したといわれるが、現存作品は数例であり、伝歴は未詳。右下に落款「霊彩筆」、印「脚踏実地」がある。原三渓(さんけい 富太郎 1868〜1939)旧蔵。
スフィンクスで記念撮影する遣欧使節団一行(1864年)、アントニオ・ベアート撮影 益田 孝 益田 孝(ますだ たかし、嘉永元年10月17日(1848年11月12日) - 昭和13年(1938年)12月28日)は、日本の実業家。男爵。三井合名理事長。 草創期の日本経済を動かし、三井財閥を支えた。明治維新後、世界初の総合商社・三井物産の設立に関わり、日本経済新聞の前身である中外物価新報を創刊した。茶人としても高名で鈍翁と号し、「千利休以来の大茶人」と称された。 佐渡国雑太郡相川町(現在の新潟県佐渡市相川)に生まれる。幼名は徳之進。父の鷹之助は箱館奉行を務めた後、江戸に赴任。孝も江戸に出て、ヘボン塾(現・明治学院大学)に学び、麻布善福寺に置かれていたアメリカ公使館に勤務、ハリスから英語を学ぶ。文久3年(1863年)、フランスに派遣された父とともに遣欧使節団(第二回遣欧使節、または横浜鎖港談判使節
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く