哲学としての現象学の教えるところによれば,われわれの知覚の対象は主体がその対象に対してとる態度を通じて形成される.女性の裸体などはそのよい例だが,それは性的な刺激を引き起こすこともあれば,超然とした審美的眼差しの対象となることもあり,科学(生物学)の探究対象ともなれば,極端な場合,飢えた男たちのあいだで料理される餌食等になることさえある.これと似たことは芸術作品について語ろうとする場合にもしばしば見受けられる.つまり,政治的な備給があまりに明白すぎて,政治的情念を留保して超然とした審美的態度をとることが,理論上はともかくも,実際には不可能になってしまう場合がそうである. エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』(1995)の厄介な点もここにある.われわれはこの映画を美学の対象として扱うこともできるし,政治にはセックスに劣らぬ情念が費やされる以上,政治=イデオロギー闘争に賭けられたも