■孫武と武蔵 蘇州(江蘇省)郊外、穹隆山の山中に、春秋末期の兵法家孫武が隠捿してその書『孫子』をまとめたとされる場所がある。深山の中腹に小さな台地があり、芽葺きの小家が建てられている。深い木立ちに囲まれ、思惟を反芻し、紡ぎ出すのに、人里とは十分の距離と静閑さを保った場所である。 戦国末期から江戸初期を生きた武芸者宮本武蔵も、その生涯の末年、熊本城西の金峰山霊厳洞に籠って、その『五輪書』を書き上げた。ここもまた僻遠幽邃の地である。 孫武にしても武蔵にしても、その数多くの実戦体験の中からつかみ取ったものを思想として結晶化させ、文書に書き残すことによって、現代のわれわれにも大きな影響を与え続けている。後に触れることとしたいが、この芽葺きの小家と剥き出しの洞窟との差は、そのまま孫武と武蔵との差を象徴しているようにも思われる。 孫武の生涯は、古代の深い闇の中に隠れている。司馬遷の『史記』には、孫武は
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