とりあげてほしいという要望があったのはきょうのタイトルにあるようなことでした。 海外にある程度ながくいる日本人は共通に感じることなのかもしれません。 これは案外複雑な様相があって単純に論じきることはできません。 外国のことばの習得のもんだいと、外国にて生活することのふたつをかんがえてみましょう。 外国語の習得を必要と感じるかどうかは必ずしも外国に旅行したり、生活するからという理由だけではありません。 鎖国時代の日本人、外国に行く機会がゼロでも一生懸命外国の言葉や文物を理解しようとしました。戦前の日本人、すこし教養があれば外国留学の夢はかなわなくとも外国の書物を読むために外国語の習得を一生懸命やりました。この熱意はすごかったはずです。それが明治をつくり、ずっと続いた日本の外国文化の取り込みの基礎になっているのです。 そういう観点でみると、外国語一つではとても駄目、最低外国語二つくらいはなんと
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