明治7年11月、襄が帰国した。髭は剃ったほうがいい。10年ぶりの帰国である。米国での死亡説も出ていただけに専門家の間でも驚きが広がっている。襄は、眉毛で演技をしすぎるミッチー木戸のもとを訪れ、日本でキリスト教の学校を設立したいという希望を伝える。すると木戸は意外にも京都を薦めてきた。そうだ京都に行こう! 英語の学習が一定の成果をあげてきた八重は、暴君覚馬から今度はキリスト教を学ぶように強制される。三条に居住するゴードンという男のもとで学べという。ゴードンというと機関車トーマスの暴れん坊しか頭に浮かばないが、実際には温厚そうな宣教師であった。 八重は「悲しむ人は幸いなり」、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」など、ひねくれたマタイ伝の教えが理解できず、帰りに立ち寄った覚馬邸で八重ママに愚痴を言っていた(ちなみに、いつのまにかミネが進化)。 同じ時、襄も覚馬のもとを訪ねてきていた。髭は剃った