「多事争論」貫き、戦後日本の姿追う 筑紫哲也さん死去2008年11月8日 印刷 ソーシャルブックマーク 朝日新聞編集委員時代の筑紫哲也さん=1981年9月 新聞から雑誌、テレビまで垣根を超えて縦横に走り続けた筑紫哲也さん(73)が亡くなった。数少なくなった、戦争を知るジャーナリストの一人。ほぼ半世紀の間、メディアの世界に身を置き、戦後日本の姿を追い続けた。病を背負ってからも、その意欲は最期まで尽きなかった。 「いつかこの日が来るかも知れないと思っていたが、本当に残念です」 ニュース番組「筑紫哲也NEWS23」デスクを務め、親交が深かったTBS前報道局長の金平茂紀アメリカ総局長(54)は7日、電話取材に声を震わせた。「『多事争論』などで身をもって毎日戦っていた。テレビ報道にかかわった人間で筑紫さん以上の人は見あたらない」 筑紫さんは敗戦を10歳で迎えた。59年に朝日新聞社に入社。68年から2