いつごろから広まったのか知りませんが、“「障害」は本来「障碍」と書くのに、戦後になって「障害」と書くようになった”という俗説があります。 結論から書きます。 「障害」は戦前からある書き方です。 今はGoogle ブックスという便利なものがあるので、画像を貼っておきます。 法律年鑑 第十三巻(昭和十二年) 別表ニ掲グル身體障害二以上存スルトキハ重キ身體障害ノ該當スル等級ニ依リ障害扶助料ヲ支給スベシ 百聞は一見にしかず、ですよね。 この話はここでおしまいです。 …なのですが、どうしてこの手の俗説が絶えないのか、少し考えてみます。 この考え方の背景には、「社会は間違っている、自分は正しいことを知っている」という中二病的心理があるように思います。 典型的なのが、コラムニストの小田嶋隆さんに絡んでいる次のツイートのようなものです。 @tako_ashi 障がい者を障害者となぜ書くのかというと 本来は
エクアドルで殺された邦人夫婦の旦那さんってバックパッカー経験豊富だったみたいだね。ほんの1kmほどのレストランまでホテル専属タクシー使ったら20ドルも取られ憤慨、帰りはレストランアレンジのタクシー3ドルを高いと拒否し、流しタクシーを使って事件に。これ、自分もやりかねないわ……— S.Umezawa (@ume_pon) 2014, 1月 8 エクアドルまで行く旅費があるのに、三ドルけちって死ぬとは、まさに金の使い方を間違っている。優先順位は、身の安全を買う費用(移動、宿舎、医療、保険、護衛)→安全な食べ物→娯楽、でありましょう。— めいろま (@May_Roma) 2014, 1月 8 だから発展途上国の旅や滞在は、実は先進国よりお金がかかったりする。安全を買う費用が高いんですよね。特に宿舎。— めいろま (@May_Roma) 2014, 1月 8 エクアドルでの新婚旅行中、流しのタクシ
pplogに投稿したポエム、Twitter投げたら結構反響があったのでこちらにも転載する。 僕の実家はモルモンで、そんで僕はその宗教とコミュニティが死ぬほど嫌いで東京に逃げてきたわけなんだけど、昔僕とある女の子の親同士が僕とその子をくっつけようと画策していたのが露見したことがあった。許嫁というのは釣りでかなり誇大表現なんだけど、まあ言葉のあやとしては構わないだろう。別に統一教会のようにコミュニティ内の結婚が縛られていたわけじゃないが、外の人間と結婚した人間の立場が悪くなるのはあったように思う。 その許嫁、結構可愛くて、そして乳がでかかったのを覚えている。自分が所属させられていた教区とは別の教区で、そこまで接点があったわけじゃなかった。宗教のことは置いといて、自分には不釣り合いぐらいに良い子だったので、わかったところで俺じゃあダメだろみたいな感じに思っていた。その子には彼氏いたかはどうか知ら
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