http://anond.hatelabo.jp/20160627000718とhttp://anond.hatelabo.jp/20160913044251を見てて思ったこと書く。お二方に全面的に賛成。 とにかく「察せ」のレベルが高すぎる人が多い。 嫌なら嫌というべきだし、好きなら好きといえば良い。仮に直接言葉にできなくとも、せめてなんとなく類推できるような言葉はあるはずだ。 それを、たとえば、本当はあることをやりたいのに明確に「絶対にやりたくありません!」と断言してしまえば、周りがそのまま思ってしまうのは当然であり、「自分は本当はやりたいのに察してくれない」と怒ったり、まあただ怒るまでならともかく、察せれなかった人を過激な言葉で攻撃するのはどうなんだと。 一応、「察する」ことができなかった人は、その人にどういうことなのか、と質問をしたりする。しかしこれに対して一部の人が「察せ」とだけで