リーマンショック以来の経済危機を、固唾を呑んで見守って来て、今、思うところがある。それは、経済の動向を「内部から」観測することと、「外部から」解釈する、言葉を変えるなら、「後付けする」ことの違いである。 例えば、シラーの本『根拠なき熱狂』には、「株価の暴落がさしたる特別のニュースのない日に起きている」と書いてあった記憶があるが、昨年から今年にかけての株の動きを見ていると、そういう風には思えない。もちろん、今から数年経ったあと、誰か分析家が、この現在の新聞や雑誌やネットの日記を集めて解析した場合、シラーと同じ結論に陥るかもしれない。でも、それは、現在の我々と直面する情報が同じではないからであろう。我々は、十数年あとの分析家には決してわからない「何か」に対峙している・・・ような気がする。それは、今ふうに、「空気をよめ」の「空気」と言えばわかりやすいかもしれないが、これだと同語反復になりそうなの