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ブックマーク / hiroyukikojima.hatenablog.com (3)

  • 数学は言葉 - hiroyukikojima’s blog

    一般の人が、数学を読んで理解しようとするとき、二つの障壁を乗り越えねばならない。一つは、語られている概念が抽象的であること、そしてもう一つは、それを語っている「言葉」が数式というこれまた「読みにくい言語」だ、ということだ。書き手が後者を突破する道は二者択一である。第一の道は、数式を使わず、極力日常の言語で表現すること。第二の道は、あえて「数式言語の読み方をレクチャーする」ことである。でも、第二の道を選択する書き手はほぼ皆無である。なぜなら、相当しんどい作業になる上、それだけの努力がの売り上げに貢献するとは考えられないからだ。かくいうぼくも、第二の道を試みたことは一回しかない。それは『文系のための数学教室』講談社現代新書で、「ルベーグ積分」を題材に、積分記号の読解の作法を伝授した部分だ。そこでのメッセージは、「数式には独特の読解の仕方がある。記号を記号のまま受け入れようとせずに、自分の

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  • 問題解きの効能のあれやこれや - hiroyukikojima’s blog

    前回の日記、『キュートな数学名作問題集』出ました! - hiroyukikojimaの日記、では、新著の内容の紹介を書いたので、今日はちょっとちがった観点から、このでのぼくのテーマについて書いてみようと思う。それは、日には、「楽しい問題」「ツボをつく問題」「ぐっとくる問題」、まとめていうと「キュートな問題」みたいのをストックする風潮が足りないんじゃないかな、ということ。そういう文化というか、システムが定着すれば、もっと多くの人が学問の楽しさを知り、知的文化が醸成されるんではないかと。 たぶん、日教育界、とりわけ教員たちは、数学(にかぎらずどんな分野でも)の問題は、トレーニングにさえなれば、その内容はなんでもいいと思ってるんじゃないかな、と思う。これは昔スポーツ界に蔓延してた根性主義に似ており、さらにいうなら、栄養さえとれればどんなに不味くてもいいというスタンスだった昔の給の発想に

  • 経済の動向を「内部から」観測するということ - hiroyukikojima’s blog

    リーマンショック以来の経済危機を、固唾を呑んで見守って来て、今、思うところがある。それは、経済の動向を「内部から」観測することと、「外部から」解釈する、言葉を変えるなら、「後付けする」ことの違いである。 例えば、シラーの『根拠なき熱狂』には、「株価の暴落がさしたる特別のニュースのない日に起きている」と書いてあった記憶があるが、昨年から今年にかけての株の動きを見ていると、そういう風には思えない。もちろん、今から数年経ったあと、誰か分析家が、この現在の新聞や雑誌やネットの日記を集めて解析した場合、シラーと同じ結論に陥るかもしれない。でも、それは、現在の我々と直面する情報が同じではないからであろう。我々は、十数年あとの分析家には決してわからない「何か」に対峙している・・・ような気がする。それは、今ふうに、「空気をよめ」の「空気」と言えばわかりやすいかもしれないが、これだと同語反復になりそうなの

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