関連トピックス野田佳彦 三笠宮家の長男、寛仁(ともひと)さまの逝去から一夜明けた7日朝、東京・元赤坂の宮邸内で弔問記帳が始まり、野田佳彦首相も記帳した。一般向けの仮設テントも設けられ、多くの記帳者が続々と訪れた。記帳は午後7時まで。 ◇ 寛仁さまの病状が悪化した今月初旬。欧州訪問中だった長女彬子(あきこ)さまは、日程を繰り上げて「おとうま(お父さま)」と慕う父のもとへ急いだ。「彬子さまの到着まで頑張ってください」。父娘の絆を知る人たちは、祈るような思いで寛仁さまに声をかけたという。 彬子さまは日本美術の調査研究などのため、5月30日〜6月8日の日程でドイツとポーランドを訪れていた。そのさなかの1日、寛仁さまは口内で出血し、容体が悪くなり、友人らが次々に見舞いに駆けつけた。 「殿下、彬子女王がもうすぐ帰ってきますから」。友人男性は、ベッドの上の寛仁さまにそう呼びかけた。「本