今日(8月6日)は広島原爆忌である。 日本の敗色が濃厚になった1945年夏、中国・四国地方にも空襲が繰り返された。6月29日に岡山、7月4日には高知、高松、徳島の四国三県県庁所在地、7月27日には残る愛媛の松山が空襲の被害を受けた。地方都市でもっとも多くの空襲を受けた都市は浜松(静岡県)であり、浜松は判明しているだけでも27回の空襲を受け、あわせて3000人以上が犠牲になったとされている。そんな浜松から、極右政治家・城内実を国政に送り出さないでほしいと思う。 多くの地方都市が空襲の被害を受ける中、8月5日まで、広島市だけは被害がなかったのだが、これは米軍が原子爆弾を投下した時の被害を調べるために、意識的に空襲を行わないできたためだった。そして、その広島に原爆が投下されたのが、64年前、1945年の8月6日だった。 その8月6日に、田母神俊雄が広島で講演会を行う。ふざけた話である。この件に関