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2011年6月19日のブックマーク (6件)

  • 高木 登・岡田麿里:2011年春、ノイタミナのココがすごい!

    TEXHNOLYZE』、『地獄少女』、『夏目友人帳』『屍鬼』などの脚、『恋風』、『バッカーノ!』、『デュラララ!!』のシリーズ構成を担当。『C』はオリジナル作品では初のシリーズ構成。 ――『C』における高木さんらしさは? 高木 公磨のスタンスですね。中村さんから「公磨は高木さんだと思うんですよ」って言われたんです。確かにそうだと。彼のお金に対するスタンスは僕のものです。あれだけお金を稼いでもすぐには使わないし、お金があるからといってウハウハにはならないし。常に「これでいいのか?」って試行錯誤してるところとか。作品を書くときは自分がこういう状況に置かれたらどうするのかってことを考えながら書きます。自分から見てお金とは? 現在とは? そうすると作品には現実性や現代性がおのずと備わってくるんです。 ――他のキャラクターにモデルはいますか? 高木 羽奈日は、友だちを念頭に置いて書きました。島田

    Imamu
    Imamu 2011/06/19
    「岡田 実写でよく使われる手をアニメで使用すると、ちょっと不思議な手触りがうまれるんですよね」
  • 連載:魔法少女のいるところ/第2回「空っぽの器、虚ろな傀儡」

    第2回「空っぽの器、虚ろな傀儡」 大久保 清朗 魔法少女たちはどこからやってくるのか。どこに行けば会えるのか。 『魔法少女まどか☆マギカ』の脚家である虚淵玄は、インタビューで「魔法少女」は、あくまで表層であると明言している。これまでの「魔法少女」に新たな解釈を与えたのではないかという聞き手に対して「そもそも『魔法少女モノ』の皮を被った全然別物の物語、という意識で脚を書いたので、シナリオライターの立場としては、根源的には魔法少女モノではないと思っています」*1と答えている。また別のインタビューで、「人が死ぬ魔法少女」が与えられた構想であったとも述べている。「魔法少女の上っ面の可愛さをただの偽装として、そのギャップを仕込む嫌な話がいいなと思ったんですよ。それを餌にして、人を釣った上で現実を見せていくホラー」*2。「魔法少女」をタイトルに冠することを主張したのは監督の新房昭之だとされているが

    Imamu
    Imamu 2011/06/19
    「『魔法使いサリー』がテレビシリーズ『奥様は魔女』から」「子供向けアニメという容れ物に、大人のドラマが盛」「魔法少女が始まりの段階ですでにジャンルを攪拌する装置として」「魔法少女の発想の淵源が~血縁」
  • 連載:魔法少女のいるところ/第1回「秘やかで孤独な祭典のために」

    第1回「秘やかで孤独な祭典のために」 大久保 清朗 (C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS少女が曠野を歩いていく。最後になるかもしれない死闘のために、風に抗い、たったひとりで。 目前に魔物が立ちはだかる。白い屍衣を待った巨大な死神たちだ。それでも少女は立ち止まることはない。彼女の背中に黒き怨念の影が広がる。翼のようにも見えるが、この世界のすべてが彼女の小さな双肩にのしかかっているようにも見える。そのとき、暁美ほむらの耳許で囁きが聞える。まぎれもない。それは親友鹿目まどかの声だ。ほむらは、かすかな微笑みとともに飛び立つ。文字どおり黒い火焔となって。 『魔法少女まどか☆マギカ』は――冒頭が映写機の輪転音とともに始まったように――カタカタと音をたてていた輪転が途絶えて終わる。かつて『仮面/ペルソナ』で、イングマール・ベルイマンもこの古風な機械音

    Imamu
    Imamu 2011/06/19
    「深夜アニメもまた、「彼方」からの祭典である」
  • 日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:展開

    なんか話を端折るつもりが長くなってきた。コンパクトに行こう。 前回の補足です。松田聖子は時代の寵児として(結婚して第一線を退くまで)君臨しますが、新しい音楽を貪欲に取り入れていたこと、そして音楽に対して非常に真摯な姿勢であったことを追記しておきます。例を挙げましょう(変な画像は無視してください)。 作詞:松隆、作曲・編曲:細野晴臣。いまなら「イエローマジックオーケストラ feat. 松田聖子」と書かれるはずの、堂々たるテクノポップです。なお、当のYMOが「君に、胸キュン。」を、ほぼ同時期にリリースしています。YMOがポップス界に及ぼした影響についてはここでは触れませんが、「シンセサイザーという魔法の楽器があれば、誰でも自由に音楽を作れるんだ」という認識を世間一般に広めたことを、指摘しておくにとどめます。まあこれが、後にDTMへ結実するんですけどね。 題に戻ります。松田聖子というアイドル

    日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:展開
    Imamu
    Imamu 2011/06/19
    『「音楽を充分に理解したプロデューサーが、アイドルのための楽曲をゴージャスに作り込む」構図は、CBSソニーの他、各レコード会社に波及します』
  • 日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:補足

    論を進める前に、ちょっと寄り道をしましょう。男性アイドルについては、ここでしか取り上げません。 キャンディーズを「海外の女性ポップスグループの翻案」とあっさり書きましたが、これは何も女性に限りません。むしろ、戦後の芸能界、いや文化と呼ばれるものの大半は、海外、特にアメリカの流行を我田引水、換骨奪胎したものでしょう。細かい検証は省きますが(えー?という声はスルーして)、音楽に限っても、クラシック、ジャズ、ロカビリー、グループサウンズ、フォーク、ロック等のブームは、アメリカでの流行を無視できません。それを可能としたのは、米軍基地に出入りしてバーのバンドマンをやったり、ラジオにかじりついてFENをリアルタイムで聴いていたような、アーリーアダプター層です。彼ら彼女たちが、「海外にいる手の届かない奴より、日にいる人間の方がいいでしょ」と用意したのが、例えば平尾昌晃であったりタイガーズであったりし

    日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:補足
    Imamu
    Imamu 2011/06/19
    はっぴいえんど,荒井由実=松任谷由実
  • 日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:アイドルとアイドルポップスの定義

    さて論に移りましょうか。まずは大事なところ。いわゆる「アイドル」と、彼ら彼女たちが唄う楽曲…アイドルポップスの定義をしておこう。これがしっかりしてなければ、話が先に進まないので。 まず「アイドル」とは何か。厳密には、日の芸能史において、アイドルと呼ばれる存在をどのように定義するか。これは固有の価値観があり、また、さんざん議論もされてきたことなので、多くは触れません。今回の主題でもないですし。ここでは何名かの歌手や女優のお名前をお借りして、概形を示すにとどめます。 日の、特に戦後の芸能史において、美空ひばりという存在の大きさは、論を待たないでしょう。ここではその業績の素晴らしさを語ることはしません。ただ、日を代表する天才的歌手が、実は様々なジャンルの音楽を片っ端から歌っていた、という事実を指摘しておきます。 それともう一人、ある女優の存在は、充分にカリスマ的と言えます。彼女の名は、も

    日本のアイドルポップス史にボーカロイドを位置づける試み:アイドルとアイドルポップスの定義
    Imamu
    Imamu 2011/06/19
    美空ひばり,吉永小百合,山口百恵,キャンディーズ,